演劇は問いであって答えではない
野田秀樹・鎌田浩毅『劇空間を生きる』を読んでいます。
他の人は違うかもしれないけど、俺は、"演劇というのは「問い」であって、「答え」ではない"というのを最近、確信している。だからよく質問されるけど、「これは何を言おうとしていたんですかね」という問いには、俺はやっぱり答えは言えないんだよね。
だからむしろ、こっちが聞いているというか。 (P.156)
最近、演劇でも映画でも本でもそうなんですけど、「で、結局何が言いたいの?」みたいな感じで、すぐに結論、答えを求めてしまいます。人と話していてもそんな傾向あります。みなさんもそんなことありませんか。
すぐ話を簡単にして、「一言で言うと」みたいな言葉に飛びついてしまう。
「答えがない」状態に留まることができない、耐えられない。
複雑なものを複雑なままにしておけない。
私なんかは、演劇ひとつ見るときも、「何かしらの答えがある」こと前提で見てしまいます。テーマやメッセージ、象徴を探し、物語の、表現の、鑑賞方法の”答え”を無意識に探してしまっている気がします。
でも、いつも答えを探すのは窮屈ですし、無理です。
「何が正解か?」ばかり気にしていたら、演劇も、映画も、人との会話も、素直に楽しめません。
それに、野田さんみたいに、作り手側が「答えは出ない、言えない」と言い切ってしまっている場合もあります。
演劇を見て、問いを投げかけられて。
あーでもないこーでもないって考える時間っていいものだと思います。
わからないこと、難しいことは一旦置いといて、「わかんねぇ〜」とか、「えぇ・・・(絶句)」とか、「よくわからんけど凄いもの見た!」みたいな感情に浸るのが、演劇や映画なんかの醍醐味のひとつだと思います。
逆に、「テーマこれです、正解これです」って提示されちゃったら、それ知って満足しちゃって、そこで終わりになっちゃう気がします。
変に答えを探すのではなく、圧倒され、絶句しとけばいいんだと思えば、気が楽でいいなと思いました。