「話を簡単にするのをやめましょう」
内田樹『日本習合論』を読んでいます。
僕は、「話がどんどん複雑になる」のが好きなんです。好き嫌いですから理屈はありません。でも、「話を簡単にしよう」と言い出す人間がだいたい何かを排除したり、何かを破壊するのに対して、「話を複雑にしよう」と言い出す人間は何も排除しない、何も破壊しない。習合というのは破壊しないこと、排除しないこと、両立し難いものを無理やり両立させることだからです。(p.277)
職場でも、学校でも、プライベートでも、私たちは自分とは異なる思想、立場、経験、条件、利害、主義…といったものに触れることになります。
それらを、「自分とは違う」と言って切り捨てるのか、それとも、一旦受け入れてみるのか。
世間では「選択と集中」みたいな考え方や、「要するに」「一言で言うと」といった、物事を単純化する言葉がもてはやされすぎていると感じます。
単純で簡単なことが善で、複雑で難しいことは悪、といった価値観が蔓延しています。
何かしら両立し得ないことが出てきた時に、私たちは「どちらか」を選ばなければいけないと感じてしまいます。
”A or B"という二択の構造にして、どちらか一方を選択するということは、もう一方を捨てるということです。選んで、一見一歩進んだように見えるけれど、どこかで何かが破壊・排除されていて、傷つき、我慢している人がいる。
でも、両立し得ないものを丸ごと受け入れて、噛み締め、飲みこみ、消化し、自分の一部にするという、そういう選択肢もあります。
内田さんが言うように、両立し得ないものを両立させようとじたばたし、うんうん唸ってみるのも悪くないし、そうすることで、思いがけない解が見つかることもあります。
話を簡単にして、一気に大きな変化を作ろうとしないこと。
無闇に”選択と集中”をせず、いったん受け入れてみること。
コンサルのフレームワーク思考や、「要するに」「一言で言うと」といった言葉に毒されている私には、新鮮な考え方でした。