のべられた手を拒んだその時に、大きな地震が起こるかもしれない
これはBUMP OF CHICKENのsupernovaという曲の一節。2005年にリリースされ、もう17年も経ったのかと驚いた。
最近この曲に想いを馳せることが多くて、震災の今日、あまり眠れず夜な夜なnoteに書いておこうと思った。
当時中学生だったわたしは、これを聴いてはじめて、自分の感覚と身体が一体のものである自覚がやっと芽生えたのを覚えている。
当たり前のことのようだが、転んで「痛い」という感覚と血を流してる自分の身体のどこか乖離していて、他人事のように感じていた。
だから「ああ、この身体の変化が起きて感じてるのは生きてるからなんだ。ちょうどいい体温を保ったり、呼吸をしたり、無意識のうちに私は生きているんだ。」とハッとした。
最近読んだ本に「いのちの手触り」という言葉があった。病気がちだった筆者が自分の体が「生きてる」と感じることをそう表現していた。
大きい病気をしたことがなかったわたしが「いのちの手触り」を知覚したのは、鼻が詰まった時のような何気ない瞬間だった。
これは本当にどうしようもない。
いなくなってがらんとした部屋を見てやっと、その人がそこにいたことを実感する。
だから生きてるうちに、後悔のないように、会って、見て、聴いて、触れて、時間を共にしておきたい。
東京大空襲から77年経ち、東日本大震災から11年経ち、感染症が流行りはじめてから2年が経った。先月から戦争も始まった。
もしかしたら今日また大きな地震が起こるかもしれないし、明日交通事故で生死をさまようかもしれない。
そう考えると、些細なことで喧嘩をしている場合ではないなと思ってその気持ちをそっとしまう訳である。
救った自分が救われる。
自分を守るために守った、と情けなさや皮肉のようにも聞こえるが、それこそがケアの根源にあったりするのではないか。
人を大切にすることで自分の存在を受容できているからこそ、いなくなったときの自分のぐらつきが怖い。
長い間一緒にいるとだんだん自分と相手の境界がわからなくなってくるので、もはや相手も自分の一部のようになる。
君がいなくなるのは、自分の手足がなくなる感覚なのだろう。
意見を求められるとないけれど、モヤモヤしながら愛想笑いでその場をしのぐ。
心の奥底にはこうだ、という気持ちがあるけど言語化が追いつかず歯痒い。
ありがとうの5文字だけでは伝えきれない「ありがとう」は日々どうやって伝えていけばいいんだろう。
そしてその、ありがとう以上のありがとう、はちゃんと伝わっているだろうか。
限られた時間のなかで、届けようと必死になっているだろうか。
届いているかどうか、相手のサインを見逃してないだろうか。
この曲と出会った中学生だったわたしも、今年30になる。ああもう17年も経ったのかと自分に歴史を感じつつ、あっという間に10年、20年…とおばあさんになっていくのだろうと思う。(おばあさんまで生きられればの話だが)
ここから、「今」と「君をなくしたあと」に向き合っていく。
※ここから先はより解説ちっくになってしまいますが、ご容赦ください。
今までは「君がいなくなってしまった」文脈で聴いていたが、今回noteに起こしてみたことで、ちょっと違うのではないかと思えてきた。
君はまだ存在していて、そばに居る。
今までは君がいなくなったら自分の存在も脅かされるのでは…という恐怖で立ちすくんでいた。
しかし、君への伝えきれないほどの感謝、限りある人生で同じ歴史を歩んでいる奇跡、誰でも必ず終わりはくる運命に気付いて、君がいなくなったとしても君がいたことは変わらないから君との「今」を大切にしていこう。
という意味なのではないかと、解釈が変わった。
世界70億人のなかの1人なんてちっぽけだが、そのたった1人の「君」がいることで救われる人がいる。
わたしもあなたもきっと誰かにとっての「君」であり、今はそう思えなくても過去や未来で誰かにとっての「君」になる。
「本当」という言葉が何度も出てくるが、これが最後の本当である。
冒頭のあたりでは、君の存在はいなくなってしか気付けないという悲観的な存在証明であった。
しかし、いなくなった後でも「君」に救われた他の誰かによって君のことは思い出される。
その誰かがいなくなっても、今この場所で時を同じくしてる事実は歴史として消えることはない。
もし私がいなくなったとしても、今こうして大切な人たちと生きている事実は消えることなく、本当に存在している。
明日何が起こるかわからない世の中だが、生きている実感と感謝とともに「今」を過ごしていきたい。
11回目の3.11に寄せて
朝の梅小路公園とともに
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