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好きな作品には「憂い」と「愛おしさ」が詰まっていた
あらためて自分の好きな小説や映画を振り返ってみると、なんだか悲しいストーリーの作品が多いことに気づいた。
#名刺代わりの小説10選
— ばやし|ライター (@kwhrbys_sk) October 14, 2024
十角館の殺人/綾辻行人
オーデュボンの祈り/伊坂幸太郎
ブラフマンの埋葬/小川洋子
夜のピクニック/恩田陸
青の炎/貴志祐介
スロウハイツの神様/辻村深月
夜空に泳ぐチョコレートグラミー/町田そのこ
ラットマン/道尾秀介
ペンギンハイウェイ/森見登美彦
さよなら妖精/米澤穂信
別にハッピーエンドの物語が嫌いなわけではない(10選のなかにもハッピーな作品はある)のに、どこか偏りがあるような気がして、何か共通点のようなものがないかと考えてみる。
特に偏愛する作家さんはおらず、ジャンルも好き嫌いはない。
似通っている部分もあるにはあれど、どれも決定打に欠ける気がした。
好きな作品に共通して詰まっている要素を探して、色々と思いを巡らせたなかで、ようやくしっくりときた表現。
それが「憂い」と「愛おしさ」だった。
「憂い」を帯びた作品に込められた「愛おしさ」
「憂い」と「愛おしさ」は一見すると、相反した言葉のように感じるかもしれない。ただ、このふたつの感情が限りなく共存している作品がこの世界にはある。
「憂い」は悲しみという言葉だけでは言い表せない、どうにもならないことや理不尽な出来事にやりきれない想いが溢れてくる、そんな感情。
それでも、自分が好きな「憂い」のある作品は、ただ悲しさだけに支配されたものではなくて、辛い現実に押しつぶされそうになっても、やるせない想いの底から一筋の光を覗くことができる気がする。
それはきっと、そこはかとなく「憂い」を帯びた物語のなかに、紛れもない「愛おしさ」が詰まっているからだ。
登場人物たちが物語のなかで過ごすひととき。長い人生の合間のほんのちっぽけな瞬間だとしても、他愛もない会話に感情が振れて、何でもない言葉で笑いあって過ごす人々は、どこまでも愛おしい。
実際のところ、幸せに満ちた瞬間も、心が張り裂けそうになる瞬間も、現実には地続きに存在していて、グラデーションのように濃淡があるときもあれば、不意に目の前から色が消えてしまうこともある。
永遠に続いてほしいと思っている優しい世界が、ずっとこのままでいたいと願う幸せな世界が、なんの前触れもなく崩れ去ってしまう。そんなどうしようもなく残酷な儚さが、現実には確かに存在している。
でも、だからこそ、そんな「愛おしい」世界を愛してやまないし、ずっとこの幸せな時間が続けばいいと、空想の物語に願いを込めるのだ。
願いとは、未来を変えたいと強く想うこと。理不尽で耐え難い出来事がこの先あったとしても、自分が望む未来へとこの世界が繋がっていてほしいと想うこと。
自分が好きな作品には、そんなありったけの願いを込めたくなるほど、「憂い」と「愛おしさ」が両方、余すことなく詰まっていた。
好きな作品への想いを言葉にすること
好きな作品に対する曖昧な想いを、ようやく言語化できた気がする。これからもたくさんの小説や映画に出会うたびに、ふと思い出したい言葉たち。
ぜひ、この文章を読んだ人にも、好きな作品に共通する表現や感情を探してみてほしいなと思う。
もしよければ、こっそり教えてほしい。気になるから。