あの頃に戻りたいと思ってはいけない
ある意味、人生のモラトリアムとも言える学生時代の記憶をもろに刺激する伊坂幸太郎さんの小説「砂漠」の一節が、最近、頭を過る。
ついこの間、27歳になって思うのは、懐かしく感じる思い出がどんどん増えているということ。慣れ親しんだものに囲まれながら、狭まっていく人間関係に鈍感になってしまうと、自然と思い出に縋りたくなるのかもしれない。
そもそも、スマホのアルバムを覗いてみると、何年も前の写真を「懐かしの写真」みたいな感じで表示してくるし、Instagramでは「1年前に何していた?」と、唐突に忘れかけていた思い出をストーリーにして流してくる。それは懐かしくも感じるはずだ。
もはや「思い出」の押し付けに近いような気もするが、実際に懐かしい写真や動画を目の当たりにすると、歯止めが効かなくなったかのように画面をスクロールしながら、思い出に浸ってしまう瞬間は確かにある。
そして、楽しかった思い出にあてられては、あの頃に戻れたならばと、到底叶いそうもない「もしもの世界」に思いを馳せることになるのだ。
ただ、今の時期、過去を振り返りたくはなるけれど、思い出は自身に良い顔しか見せなくて、頭の中をゆらゆらと揺蕩う戻りたいという感情も、キラキラとした記憶に埋没した苦労には触れずにいるんだろうとも思う。
積み重ねた記憶を眺めるのは壮観だし、一見、見栄えがよく見えるから。
しかし、だからこそ、これからも新しい経験を増やしていきたいし、経験が思い出となったときに、戻りたいと思える出来事にたくさん出会いたい。
行ったことのない場所も、見たことのない作品も、まだまだ世の中には溢れている。興味の内側だけでなく、興味の外側にまで、めいっぱい手を伸ばしても届かないくらい溢れている。
そんな、まだ出会ったことのない景色を存分に堪能してから、一息ついたところで、過去の記憶を余韻として楽しむのは「悪くないな」と思うから。
そういえば「SUPER BEAVER」というバンドに「27」という名前の曲があって、この曲は27歳になった時の心情が歌われている楽曲でもある。
大人になれているとは思わないけれど
まだまだ生きていくつもりではあるので
27歳も興味の外側まで届くように、視野を広げていきたい所存。