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ゼレンスキー大統領の「U-24平和のための同盟」や「予防的ツール(機構)」と、カントの永遠平和の理念を、柄谷行人でつなぐ

■ U-24 平和のための同盟

U-24は、24時間以内に、という意味です。ウクライナ大統領・ウォロディミル・ゼレンスキー氏が、アメリカ議会の演説で新しい「平和のための同盟」を提案しました。U-24は、その「平和のための同盟」の重要な機能です。

ゼレンスキー大統領の演説の該当部分を、NHKの翻訳から引用します。

「U-24」という同盟を作ることを提案しています。平和のための同盟 (United for Peace) を。紛争を止めるための力と良心を持った責任ある国家の同盟です。迅速に。必要な支援を24時間以内に提供できるように。必要であれば武器。必要であれば制裁。人道支援。政治的な支援。財政的な援助。すぐに平和を守るために必要なすべてのもの。命を守るために。

さらにこの同盟は、自然災害や人災が起きている国の人々を支援することができます。人道危機や疫病の犠牲になった人々。

【演説全文】ウクライナ ゼレンスキー大統領 米議会で演説

必要な支援を24時間以内に提供できる同盟を、戦時下にあるウクライナ大統領が、求めているのです。

背景としては、ウクライナが北大西洋条約機構NATOやEUに加盟できないことと、ロシアから非武装を求められている2点が重要です。

覇権国家であるアメリカによる「平和のための同盟,U-24」のようなものが存在するならば、ロシアが求める非武装も選択肢の一つになりえる可能性があります。

■ ゼレンスキー大統領の日本国会演説

ゼレンスキー大統領は、様々な国の国会で演説し、歴史的な、文学的な引用をしてその国を煽っています。 鼓舞し、有力な支援を引き出そうとしています。イギリスでは、チャーチルが国民に向けた歴史的演説を、ドイツではベルリンの壁、アメリカでは真珠湾攻撃や911を、スイスではいまだロシアで営業を続けるスイス企業のスローガンを引用しました。

そのゼレンスキー大統領、日本の国会での演説の可能性が生じ、にわかにTwitterが騒がしくなりました。ゼレンスキー大統領、いったい何を引用するのでしょう?

色々ありますね。「月に代わって」はウケました。

私は、日露戦争→憲法9条が思い浮かびました。

そして、日本向け演説で、U-24平和のための同盟の提案国になってくれと、ゼレンスキー大統領が日本に依頼したら、私たちは、どうしたら良いのでしょう。そういう架空の思考が始まってしまいました。

■ 日本国会ゼレンスキー演説 予防的ツール

2022年3月23日演説がありました。キーワードなどご紹介します。柄谷行人やカントへの言及はありませんでした。

演説では、戦争・侵害を防止するための予防的ツール(機構)への言及がありました。そして、ゼレンスキー大統領は、その予防的ツールの開発について、日本のリーダーシップへの期待を表明しました。

予防的ツールというのが、U-24平和のための同盟のことなのか、別のものなのかは、言及がありませんでした。

その他、チェルノブイリ原発への言及や、避難民が住み慣れた古里に帰るための復興支援などへの期待がありました。

日本のコンテンツについては、例えば昔話が話題になりました。

■ ゼレンシキー宇大統領の日本の国会で演説全文はこちら

ウクルインフォルムによるゼレンスキー大統領演説の日本語訳

私たちは、新たな安全保障を作らねばならない。平和にとっての脅威が生じる度に、予防的に毎回強固に機能するように。

現存の国際機構を基盤にそれが可能だろうか? このような戦争の後では、絶対無理だ。新しい機構を創設しなければならない。新しい保証を。あらゆる侵略に対して予防的かつ強力に機能する保証だ。

日本のリーダーシップは、その創設において不可欠となるかもしれない。
ウクライナにとって、世界にとっての。私は、あなたにそれを提案する。

世界がもう一度、明日がどういう日となるかについて確信を抱けるように。
明日が訪れることへの確信、明日が安定し、平和なものとなることへの確信だ。

私たちにとって、将来の世代にとっての明日への確信である。

ウクライナ大統領府広報室が公開したゼレンシキー大統領の演説のウクルインフォルムによる仮訳

ウクライナ大統領府広報室、英語も公開してくれてました。

We need to develop new security guarantees. So that it is possible to act preventively and strongly every time there is a threat to peace.

Is it possible to do this on the basis of existing international structures? After such a war - definitely not. We need to create new tools. New guarantees. Which will work preventively and strongly against any aggression. Which will really help.

Japan's leadership can be indispensable in their development. For Ukraine, for the world. I offer it to you.

So that the world can feel confident again. Confident about what tomorrow will be like. Confident that tomorrow will come and will be stable and peaceful.

For us, for future generations.

Speech by President of Ukraine Volodymyr Zelenskyy in the Parliament of Japan

機構は、toolsですね。別のところで、反戦連合,anti-war coalitionとありました。

■ ウクライナと柄谷行人

さて、U-24平和のための同盟や、戦争や侵略を予防するためのツールについて、考えていきましょう。そのために、柄谷行人を読んでいきます。

柄谷行人氏は、近代文学こそが、近代的な国家(国民国家,ネーション=ステート)を作りあげたと論じた人です。文芸評論が高じて哲学者になっています。

 1990年の6月、私はサンフランシスコで文学者の世界会議に出席したのですが、そのとき、東南アジアの作家は当然としても、ソ連・東欧の文学者が露骨に示すナショナリズムにやや驚きました。

 それは、ウクライナで十数年も投獄されていたという作家が叫んだ言葉に代表させることができます。≪私は人類である前にウクライナ人である≫。これは、18世紀後半にドイツのロマン派、ヘルダーがいった言葉と同じなのです。

 この作家はウクライナの文学がいかに古い起源をもつかを語り続けました。 

柄谷行人『<戦前>の思考』(文藝春秋,1994.2)p.8

このウクライナの作家が、柄谷行人を知っているかどうかは分かりません。しかし、柄谷行人の著作は英訳されていて、近代化に直面した国々の人たちに、好んで読まれてきました。最近では、台湾のオードリー・タン(唐鳳)氏による柄谷行人の読解(『デジタルとAIの未来を語る』(プレジデント社,2020.11))が話題になりました。

ゼレンスキー大統領のスピーチはイギリスっぽいので、BBCやイギリス人のスピーチライターがいる可能性を想定しておりますが、もし、ウクライナの作家がゼレンスキー大統領のスピーチライターであれば、柄谷行人や、柄谷行人が分析しているカントの永遠平和、そのための国家連合の次の姿などを意識している可能性はあります。

■ 柄谷行人の30年前の予測

 柄谷行人は、ネーション=ステートと文学の関係を、次のように語ります。

ネーションが本当に形成されるのは、それが人々にそのために死ぬことが永遠に生きることを意味するような気持ちにさせるときです。(p.25)

つまり、それは人を、先祖のみならずまだ生まれてもいない世代との連続的な関係において理解することを可能にし、人がそこに生まれたという偶然性を必然的なものに変えることを可能にします。(p.26)

(親族の強さと同様)宗教も、イスラム圏のように強いところではネーションの形成を妨げています。なぜなら、宗教が生と死を意味づけてしまうからです。(p.26)

ぼくは、ナショナリズムの中核は言文一致的な近代文学にあると思います。それは、文字通りナショナリスト的であるかどうかとは関係がない。むしろそうでない方がネーションを喚起しうるのです。(p.240)

19世紀ドイツの場合、「ドイツ民族」を作ったのはロマン派の文学なのです。なぜなら、ドイツは国家としては小邦に分裂したままだったからです。日本でいえば、各藩に分かれていたようなものです。ドイツの統一は、文学的にのみ実現されていたわけです。(p.240)

しかし、これは現在でも起こっています。たとえば、グルジア(現ジョージア)でもウクライナでもクロアチアでも、みなそうです。文学がナショナリズムの中核にあります。(p.240)

柄谷行人『<戦前>の思考』(文藝春秋,1994.2)


ウクライナは、ウクライナ語と、ウクライナ文学を決して手放してはいけません。それこそがウクライナのネーション=ステート(国民国家)の中核です。

■ ヨーロッパ共同体と帝国

柄谷行人は、このようなネーション=ステート(国民国家)の前後を見ていました。それは、このウクライナ戦争の原因を予言していたようにもみえます。

トランスナショナル(国家の枠を超えた)な資本主義は、いわゆるボーダーレス(国境がない)です。

しかし、ボーダーレスであるがゆえに、別のボーダー(境界)が形成されます。例えば、ヨーロッパ共同体(現EU, NATO)は、そのなかではボーダーをなくすかも知れないが、全体として、その外部に対するボーダーを形成しています。

ネーション=ステートを越えることが、なぜ、たとえば、「ヨーロッパ共同体」に帰着するのだろうか。それは、近代のネーション=ステートが、もともと西ヨーロッパ帝国のなかで、それぞれが分節されるというかたちで発生してきたものだからです。

それが、ヨーロッパ諸国の世界支配とともに、それまでの各世界帝国のなかにも近代国家を分節させてきたのです。近代国家を生み出してきたヨーロッパが「共同体」として結束するとき、そして、それが西ヨーロッパ帝国の「地」の上でなされるとき、それは、不可避的に他の地域における旧帝国の「地」を露出させずにいないでしょう。

今や、資本主義圏と共産主義圏という抽象的な世界区分が終わって、非常に具体的な固有名をもった世界のブロックが登場してきました。

要するに、われわれは奇妙なことに、近代国家を超えようとして、逆にそれ以前の「帝国」を呼び戻してしまうことになっているのです。

柄谷行人『<戦前>の思考』(文藝春秋,1994.2)

EUやNATOは、例えばドイツとフランスが再び戦争をする可能性を大幅に低減させることができました。しかし、外部に対する境界を生み出し、そのNATOの東方(ロシア側)への拡大こそが、侵略国ロシアによって、ウクライナ戦争の原因とされてしまったのです。

柄谷行人が、「近代国家を超えようとして、それ以前の帝国を呼び戻した」というのは、NATOがロシアという帝国を生み、それ以前に、NATOが帝国なのです。

しかしこのヨーロッパ共同体は、日米の産業からヨーロッパ市場を守るために形成されてきました。日本のバブル時代の産業力・経済力がヨーロッパ共同体を生み出し、ヨーロッパ共同体がロシアという帝国を生み出し、そのロシアがウクライナを侵略しています。

もちろん、ロシアがウクライナを侵略したことの責任は、全面的にロシアの政治指導者にあります。しかし、個人の狂気として片付けるのではなく、歴史の構造をみるべきです。その分析をしようとするあなたの知性や私たち・みんなのそれぞれの文化が、次の戦争の可能性を減らします。

柄谷行人が30年前に指摘したように、NATOのような地域連合は新たなボーダー(境界)を創り出し、帝国を生み出してしまいます。それは、ウクライナ戦争で証明されてしまいました。地域連合は平和にとって危険です。

それは、日本の大東亜共栄圏や、ドイツの第3世界が危険であったことと同様です。平和のためには、地域によらない連合や同盟を目指していくべきです。

例えば現在EUは、アメリカのインターネット広告企業(Google, Facebook等)から欧州市場を守るために個人情報保護を、日本の自動車産業等から欧州市場を守るために脱炭素のサステナビリティーを推進していると考えることもできます。

■ ヘゲモニー、覇権国家による平和

ウクライナ戦争後の未来像を、色々な方が語っています。その多くは、覇権国家の役割による平和を望むものです。

ウクライナのゼレンスキー大統領が、まさにアメリカという覇権国家、軍事力を持つ国家に、U-24, 平和のための同盟を提案したのも、カント=柄谷行人的な発想ではなく、覇権国家に国際的な警察の役割も依存しようとする従来型の発想による気もします。

しかし、ゼレンスキー大統領の思惑を超えて、機能不全の国連を改善するものとして、U-24, 平和のための同盟や、予防的ツールが、機能する可能性はあります。

柄谷行人は、ウォーラーステインの世界システム論を援用して、柄谷独自の交換論を加味しながら歴史を分析しています(柄谷行人『世界史の構造』(現代文庫版,2015.1)全体,『憲法の無意識』(岩波新書,2016)p.154-)。

覇権国家は、オランダ、イギリス、アメリカと変わっていきました。しかし、その変化の中間期間では、覇権国家がないのです。覇権国家がないときほど、戦争の危険性が高まります。

例えば、柄谷行人の分析によると、アメリカのヘゲモニーは1990年に終了しています。歴史が繰り返すなら、2050年まで、次のヘゲモニー国家は固定しません(柄谷行人『世界史の構造』岩波現代文庫版, pp.455-456,)。

カント=柄谷行人は、覇権国家による平和(休戦状態)ではなく、覇権国家がなくても成立する永遠平和を目指しています。

このカントの理念で重要なのは、永遠平和が実現しなければ戦争がおき、その戦争によって理念が浸透して永遠平和に近づく、という考えに基づいていることです。「自然の狡知(こうち)」と呼ばれています。

■ カントの未来像と「平和のための同盟」

第一次大戦が国際連盟を生み出しました。第二次大戦は、国際連合と日本の憲法9条を生みました。これら国際連盟や日本の憲法9条は、カントの「永遠平和」の理念に基づきます。

カントの永遠平和は、戦争の不在としての平和ではなく、常に目指すべき指標としての諸国家連邦です。戦争をもたらす一切の敵対状態がなくなることです。

カントは、国際連邦を構想しつつ、それが人間の理性や道徳性によって実現されるとは考えなかった。が、それが実現されないとも考えなかったのです。それは実現される。

ただし、それをもたらすのは、まさに人間本性(自然)の「非社交的社会性」、いいかえれば、戦争であると、カントは考えたのです。

このような逆説的・弁証法的な考え方は、ヘーゲルの「理性の狡知」に対して、「自然の狡知」と呼ばれることがあります。(略)だからこそ、それは後期フロイトの認識を先取りするものとなりえたのです。

柄谷行人『憲法の無意識』pp.99-100

ウクライナ侵略戦争は発生してしまいました。理性の狡知の限界です。現在の国連、特に安全保障理事会の限界です。それは世界の理性であった筈です。

しかし、カントによれば、このような侵略戦争の結果、新たな同盟や、国連の改革が生まれます。

ゼレンスキー大統領の提案するU-24平和のための同盟や、日本のリーダーシップが期待された予防的ツールというのは、その新たな同盟・ツールを必要とした戦争被害地からの提案であり、私たち一人ひとりへの問いです。

■ 戦争と強迫性障害 フロイトの「死の欲動」

第一次大戦という、国民国家(ネーション=ステート)が成立したあとの世界戦争は、それまでの戦争と違うのでしょうか? フロイトは、第一次大戦を戦った兵士の強迫神経症(強迫性障害)から、違うという結論を導きました。

柄谷行人が扱っているフロイトは、「死の欲動」という難解なところです。小林敏明『フロイト講義<死の欲動>を読む』(せりか書房,2012.6)なども引用しつつ「死の欲動」や「超自我」の役割を重視する後期フロイトの考えに注目しています。

(後期の「超自我」に類似する概念は、例えばフロイト前期の)『夢判断』(1900)における、夢の検閲官です。それは、親などを通して子どもに内面化される社会規範のようなものです。ゆえに、それは現実原則を強いるものです。

(フロイト後期の)超自我は、死の欲動が外に向けられて攻撃性としてあらわれたのち、何らかの契機を経て内に向かうことによって形成されたものだとフロイトはいいます。

超自我は、自己の外から来る”検閲官”とは異なり、内的な起源をもっています。むろん超自我も”検閲”はするのですが、検閲官による検閲が他律的であるのに対して、超自我によるそれは、いわば自律的、自己規制的なのです。

柄谷行人『憲法の無意識』pp.14-15

「検閲官」が前期フロイト、「超自我」が後期フロイトです。私たちは、外に向かっていた攻撃性が内面化し、無意識(超自我)となってしまう精神機構をさらに考えます。

なぜこの戦争(第一次世界大戦)はこのような戦争神経症をもたらしたのでしょうか。

すでに独立している(近代的な)国家が他国を侵略するような戦争となると、(略) 戦争中にはさまざまなイデオロギーで粉飾されていても、それは戦場の現実、他国の現実によってはぎとられてしまう。

そこから、さまざまな戦争後遺症が生じます。しかし、それらは意識的なものです。

それに対して、フロイトが出会った患者らはむしろ何も覚えていない。(略)フロイトは彼らの「無意識」の反復強迫に重要な意義を認めたのです。この反復強迫は自らの攻撃性を糾弾することです。

つまり、それは、そうと意識することなしになされる戦争への批判なのです。フロイトは、それを行う者として超自我を見いだした。のみならず、文化を超自我として見いだしました。むろん、肯定的な意味において、です。

柄谷行人『憲法の無意識』pp.114-115

ネーション=ステート(近代化された国民国家)という、文学や物語で統一性を保つ国家の戦争では、現実とストーリーが混濁し、批判さえ封じる物語(ナラティブ)が自国にはあり、このような強迫性障害をもたらしやすいのでしょう。

例えば、祖国の英雄として称えられる表面の顔や意識と、戦争を強固に嫌悪するようになった無意識があり、戦争で開いてしまった攻撃性が、無意識に自分自身に向かうような、悲惨に引き裂かれた状況です。

注目したいのは、フロイトが、「文化」を超自我としていることです。例えば、柄谷行人は、日本の憲法9条は、日本人の社会的な無意識の罪悪感(という文化)だといっています。

フロイト自体、アインシュタインに戦争の防止策を問われたとき、知性の小さい声の継続と、文化は、戦争に抗するだろうと言っています(同p.116)。

■ 贈与の力と、新しい同盟

覇権国家なしの永遠平和は、どうすれば実現できるでしょうか。カントの諸国家連邦に、どうすれば近づくことができるのでしょう。

柄谷行人は、カントの永遠平和の理念に加えて、交換形式からとらえたその歴史観から、「贈与の力」に注目しています。国家どうしが贈り物と返礼をすることで、戦争を防止しようというのです。

古代中国の朝貢や、江戸時代の参勤交代なども、そのような贈与と考えることができるかも知れません。レヴィー・ストロースが分析した部族社会間の交換も、部族間の戦争を予防するツールであった可能性があります。

例えば、柄谷行人は、諸国家連邦のための贈与の例として、生産物を売るのでは無く、生産の仕方を教えることと、もう一つ、相手に向けられていた武器の一方的な放棄を指摘しています。条約で減らすのではない、贈与としての兵器の廃棄です(柄谷行人『世界史の構造』岩波文庫版p.490)。

相互の留学生とかも贈与になるでしょう。例えば、フルブライト留学生は、パックスアメリカーナに貢献したと思われます。

日本の憲法9条は、前文にある反省によって、日本がなんら条約によらず、一方的に武力を国際社会に向けて放棄したもので、これは日本から国際社会への贈与といえます(柄谷行人『憲法の無意識』岩波新書,p.128 - 133)。

カントの諸国家連邦や、U-24平和のための同盟や、日本がその開発のリーダーシップを発揮してくれと、日本国会で演説があった「戦争を予防するためのツール」は、そのような武力が贈与された諸国家連邦(同盟)が主体となって、被侵害国、いまならウクライナ、を支援する仕組みが想定されます。

このような理想が実現しなければ、また戦争が起こるだけで、戦争が起これば、少しは良くなっていきます。 ただその理想は、地域諸国連合(NATOや大東亜共栄圏)ではありません。境界をつくらない、平和のための同盟であるべきです。

覇権国家により平和が保たれるならば、ウクライナ侵略戦争は起きなかったはずです。

実際、国連は無力であり、戦争を阻止するような力をもっていません。

私は、国連の根本的改革は一国の革命から開始できると思います。

例えば、日本が憲法9条を実行することが、そのような革命です。

日本が憲法9条を実行することを国連で宣言するだけで、状況は決定的に変わります。それに同意する国々がでてくるでしょう。

そしてそのような諸国の「連合」が拡大する。

それは、旧連合軍が常任理事国として支配してきたような体制を変えることになる。

それによって、まさにカント的な理念に基づく国連となります。

自衛権の単なる放棄ではなく、「贈与」となります。そして、純粋贈与には力がある。その力はどんな軍事力や金の力より強いものです。

(柄谷行人『憲法の無意識』岩波新書,p.132 - 133)

■ あとがき

U-24平和のための同盟や、戦争の予防的ツールという、ウクライナのゼレンスキー大統領の提案に対して、私は、柄谷行人の思想を紹介したかった。

そうしようと思ったのは、はるさん(三春充希氏)の「ここからはじめる平和――何もかもが戦争の論理に飲み込まれてしまう前に」を読んだためです。

はるさんはすごくて、その世論調査の整理を何か手伝えないかと活動(はるドーナツ)したこともあったのだけれども、私は挫折してしまった。
はるさんは詩人で、その芸術家気質が、このような戦争の論理への研ぎ澄まされた感覚を生み、文章の衝動があふれてくるのだろう。

私も未来のために何かしなければ、という想いをはるさんからもらった。私はこれを書き、さらに、U-24平和のための同盟や、予防的ツールができるならどんな条文になるのかをボチボチ考えてもいる。

しかし、何かが具体的に変わるかどうかは、あなたが次に何をするかによります。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

どうしたらよいでしょうね。何か、できることをしてくれたら嬉しいです。学びや子育ては重要な行動だと思います。文化を育むことが戦争に抗すると、フロイトもいっています。過去の知性に耳を澄ましてみることも。

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