描写のバランス(ウサギノヴィッチ)
コンサドーレ札幌!
どうも、ウサギノヴィッチさんです。
まずは、文学フリマで崩れる本棚に来て本を取っていただいた方、会場でお会いした方、ネットで見守っていただいた方、本当にありがとうございます。
今回は、崩れる本棚らしい出会いがあったのが収穫なのではないでしょうか。それについては、崩れかけのラジオで読書会という形でやりたいと思っていますので、それまでお待ち下さい。
ぼくは買った本の同人書評エッセイが出来たらいいなと思っています。
さて、今回は久しぶりにこっちで文学的なことを書きたいと思います。
タイトル通り、どこまで描写を書くか。
ぼくは描写を書かないでいて、最近書くようになったので、そこらへんのバランスが分からないんですよね。
たとえば、回想で説明していると、あれっ? これって具体的なエピソード入れた方がいいのかな? って思ってしまうんですよね。今までなら簡単な説明で書き飛ばしていたんですが、描写をしっかりしようと思うと、そこも書かないといけないんではないだろうかと思ってしまったんですね。
そもそも、プロの小説家、あっ、これは僕の偏見とかが入っているんですけど、一つの章で、たくさんのエピソードが入っているような気がすんですよ。そういう風なのを書かないといけないと思ってるんですよね。
そもそも描写ってなんでしょうかね。アドバイスで描写をしっかり書けと、省略するなと言われているんですけど、それを真面目に実践しているんですけど、ゲスい話をしたら、そうすることで評価の対象になるって言われたので力を入れているんですよね。
普段書かないから、変なところで考えこんでしまうんですよね。
書きなれているなら、そこらへんを気にしないで書けるようになりたいんですよね。
そのバランスがまだわからないでいる。
人の動きやエピソードを入れていると物語が停滞して読みにくくなるかなと思ってしまうんですよね。
でも、そこは、自分の筆力でどうにかなるのではないだろうかと思ってしまうのもあるんですよね。
だから、今は習作を書いてます。
小説を書くことは、楽しいので、この悩みも嬉しい悩みと言えばそうなのですが、そういうことを考えられる余裕があるのはいいことなのかもしれないですね。
これからも、これがアップし終わったら、小説を書きたいと思います。