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男というのはいざというとき頼りなく、女は堂々としていること、『農耕詩』p31を添えて(2022/06/02)

隠し事なんてしない方がいいなのだけれど、隠し事しなければならない状態をしなければならない。
そのときに、名前を呼ばれたときに過剰に反応をしてしまい、びっくりしてしまった。
話し相手をしていた女性はびっくりしていただろうけど、上手く対応しただろう。
呼ばれて支持を受けて対応して、その女性の方を見たらOKサインを出していた。
ぼくより肝が据わっているなと思った。
それよりも、ぼくがビビリなのかもしれない。
早くこの状況から抜け出したいと思った。

それは、大体ぼくの周りの女性はそう感じてしまう。
みんな肝が据わっている。
覚悟ができている。度胸がある。
女性ってそういう生き物なのだろうか。
男性というのはロジックで言い訳を考えるが、
多分、女性はそれを感性みたいなもので一発で見抜いてしまうのではないだろうか。

それを小説で表現すると、エスパーみたいな感じになるのではないだろうか。

女性が書いた小説で、女性が積み上げた順序で書いていくのならば、それはエスパーにならないのではないだろう。
上手く説明できているか心配になるが、結局は男女差が出てしまうということだ。女性には女性の文体が存在するし、男性には男性の文体が存在する。
何回か越境を試みたことがあったが、失敗したことがある。
ないものをねだっていてもらちはあかないが、自分がやってみたいと思ってしまうこととしては自分の中ではどこか欲しがってしまう。

「完全体」になりたいみたいな欲求みたいなものだろうか。
完璧主義みたいなものだろうか。
そういうなんか綺麗事だろう。

でも、その仮面の下にはビビリの自分がいて、小さいことでオドオドしている。
OKサインを出した女性はカッコよかった。
惚れた。
それくらいデンと座っているくらいが丁度いいのかもしれない。
仕事のできる女性ってそんな感じがする。
多分、その女性もその部類に入るだろう。
その女性の未来は開けている。
トリコロールの旗を持って民衆を扇動するのではないだろうか。

無理くりに言ってみた。

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