パフェフォルマリズム(Pさん)
Kindleで、江藤淳という批評家の、『小林秀雄』という、同じく批評家の先達を批評している本を読んでいる。
批評家の、純粋培養みたいな本だ。何かきっかけがあったわけではないけど、小林秀雄という人について、ぜんぜん触れてこなかった。先入観みたいのも勝手に読む前から出来上がっていたけど、そういうのを改めようと思って、読み始めた。
批評家というのは、やっぱり独特の読み方をする。一つの、なにげなく過ぎてしまう文章に対して、過剰と思えるくらい意味づけを行う。そして、乗せすぎなのでは? と思えるくらいに、本当かどうかはともかく、気持ちをそこに乗せる。
まるで内容と形式が入れ替わった、パフェか何かのようだ。
そして、批評の話の流れはわかるんだが、裏付けはあるの? というのを、いつも疑問に思う。
小説とかを読んでいて、それの思うところを書くのに、裏付けもなにもないかもしれない。しかし、気になってしまう。
哲学や思想でも、似たようなことを思う時がある。裏付けといって違うなら、その著者の言うこと、その波みたいなものに乗ることに、理由はあるんだろうか? 信じていいんだろうか? と思うというような感じだろうか。
もちろん、そういった理由なしに、もう信じてしまっている人もいるから、その他の人を、理由がないからといって信じないというのもおかしな話だ。
そんな風な、書いてないことを読んでしまっていいの? その読み方は、どこに存在するの? と思うときもある。
今回の読書で、その辺は払拭されるんだろうか。別にそんな期待を込めているわけではないけれども。