Pさんの目がテン! Vol.56 P.デュピュイ『ありえないことが現実になるとき 賢明な破局論にむけて』(1)(Pさん)
「ありえないことが現実になるとき」の、前半から中盤に差しかかっている。途中、ついていけなくなりそうな所もあるが、大意には、なんとかついていけてる、と思う。
本書は、今最も考慮しなければいけないはずなのに、無視されている、温暖化と気候変動とそのリスクというものについて語っている。作者の、ピエール・デュピュイという人は、元々原発の安全性などについて、技術的な助言をする立場の人だった。技術者寄りの、考察をする人だった。それが、社会学、そして哲学という風に渡って来て、現在の作風になっている。
作風。いや、書いていることは、作者の息吹を感じさせようとか、何かを表現しようとかいったノン気なものではない。どちらかというと、証言に近い。ノンフィクションではあるが、そこに「運命」という語の考察があったり、市場理論などを相手取り、「それが何を意味するのか」と問うてみたりしている。
この作者のプロフィールについて、何となくで把握しているところがあるので、本当にこういうことだったか自信がなくなってきた。ので、該当部分と、本当のプロフィールを写し並べることにする。
それにしても、二〇一一年七月にフランス放射線防護原子力安全研究所倫理委員会委員長として東京に滞在したときに驚いたことは、対話した人々の幾人かが福島の出来事をある悲劇と同一視していたという事実である……。
(ジャン=ピエール・デュピュイ『ありえないことが現実になるとき 賢明な破局論にむけて』、「序」7ページ)
この「ある悲劇」というのは、日本への二度の原爆投下のことである。
ジャン=ピエール・デュピュイ
1941年フランス生まれ。哲学者。理工科学校教授、スタンフォード大学教授、フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)倫理委員会委員長、イミタチオ財団研究主任などを歴任。2011年、ロジェ・カイヨワ賞受賞。おもな邦訳所に、『犠牲と羨望––自由主義社会における正義の問題』『ツナミの小形而上学』『聖なるものの刻印––科学的合理性はなぜ盲目なのか』などがある。
(同、著者プロフィール)
大方、外れてはいなかったようだ。
何でこの本を読み始めたかといえば、この著者の新刊が出たからで、内容について、元から特に興味を持っていた、というわけではなかった。プロフィールの最後に載っている、『聖なるものの刻印』を、とあるきっかけで、ずいぶん前になるが、読み始めて、そこで、信用できる作家のリストに入ることになった。しかし、この本を最後まで読み通すことはまだできていない。長いこと塩漬けされ、漬けているうちに新刊が出てしまっていた、というわけだ。しかし、そんな不誠実な読み方が許されたとした上で言うと、本書を読んで、その信頼はいよいよ増すことになった。(続く)
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