久世物語⑪【発展期】JASDAQ上場
当社は今年創業90周年を迎えました。
90は語呂合わせで『クゼ』と、まさに久世の年。
長い歴史の中には創業者や諸先輩の苦労や血の滲むような努力があります。
私たちがどのような会社で、どのような思いが受け継がれてきたのか。
「久世物語」をお届けいたします。
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【第11回】JASDAQ上場
「家業」からの脱皮
副社長に就任した1980年代頃から、健吉は将来の会社の仕組み、経営管理、収益管理、原価計算などへの意見を豊富な知見を有する監査法人の公認会計士に求めるようになった。多くの上場企業を見聞した人間から生きた経営情報を学ぶことで、自己流ではない経営手法を身につけようとしたのである。
そして、1990(平成2)年、健吉は福松から久世の経営を受け継ぐ。このとき、健吉にはある思いがあったという。
「久世を継いだのは、取引先が増え、営業や物流体制を整えるために人を増やして会社が成長し始めた時期。社長交代を機に、これまでの家族的な経営だった『家業』から脱皮し、企業として新しいスタートを切らねばならない」
創業社長の福松であれば、その言葉や行動がそのまま会社の規範となる。健吉は福松の仕事への情熱や誠実な姿勢に尊敬の念を抱いていたものの、自分が会社を継ぎ、成長へと導くためには、経営に関する明確なビジョンやよりどころを持たなくてはならないと考えていた。
また、以前から問題であった離職率の高さに対しても、何らかの手を打つ必要があった。「この会社にいても、将来が見えない」そんな言葉を残して去っていく者がこれ以上増えることのないように、社員全員が胸を張って仕事ができる会社を作りたい。
企業としての存在感を示し、その方向性を明確にするために必要な一本の柱、それが上場だと健吉は考えた。
こうして、2000(平成12)年に上場準備室が設置され、JASDAQ上場に向けた取り組みが開始された。
上場、そして福松の逝去
2001(平成13)年9月12日、久世はJASDAQ上場を果たす。
アメリカ・ニューヨークで発生した同時多発テロ事件の翌日という稀なタイミングでありながら、業界紙はこぞってこのニュースを取り上げた。
そして、この年の10月5日、上場までの奮闘を見守っていたかのように福松が逝去する。享年85歳。
東京芝公園の増上寺で営まれた社葬には、社員やOBの方、取引先など2,000名以上が参列した。葬儀委員長を務めた健吉は、万感の思いを込めて「創業者の意志を全社員が忘れずに、社業伸展に渾身努力する」と返礼した。
この言葉通り、上場を機にさらなる発展を目指して久世は邁進する。
まず、業界初の試みとして生鮮三品を含めた全国一括の物流ネットワークシステム、「KZNシステム」を構築。さらに上場の直前には、大手業務用食品卸の株式会社トーホー、服部コーヒーフーズ株式会社と業務提携し、商品開発を共同で行うなどで効果を発揮した。
当時の取り扱いアイテムは1万4000品目。製造・販売を行うキスコフーズ、高級食材の輸入販売を行うアクロスとともに、取引先のニーズに対するきめ細かな対応をより一層充実させた成果でもある。
主要顧客である外食チェーンやホテルの取引先店舗数は6300を数え、全国7カ所に設置した物流センターと物流情報システムの構築による即応体制を確立した。中食市場や高齢者向け市場にも積極的に進出。
そして、この頃から人口が集中する首都圏を中心に、関西、名古屋の三大都市圏をターゲットにおき、すべてのエリアにおいてナンバーワンを目指すようになる。
新規上場を果たした久世の初値は、テロの影響による日経平均682円安という波乱の中、公募価格500円を2割下回る405円をつけた。
しかしながら、上場3日目にして公募価格を奪回、上場からおよそ2ヵ月で2倍以上の価格になった。
久世は自社の成長だけでなく、株主への利益還元も重視している。
(次回につづく)