忘れられない食事Vol.9 今も昔も華麗なままで
死ぬほど暑い日が続いたかと思いきや、いつの間にか花屋からひまわりが消えつつある。
3週間も仕事から離れていた反動か、今日の天気みたいな時勢のせいか、
さほど忙しいわけでもないのに6月は慢性的に調子が悪く、鬱々とした日々を過ごしていた。朝は起きられないし、夜はなかなか寝られないし、気づいたら爪がほとんど割れていて、ネイルを諦めた。
ここが踏ん張りどころか?と思いつつも、新卒の頃の辛い思い出に後押しされて、信用している人たちに早々にヘルプを求めた。
第三者から見ると、思ったより疲れていたようだった。スピークアップ、大切。
そんなこんなで周りの人のサポートを受けつつ、徐々に元の調子を取り戻した。
下期の動きにも目処が立って、束の間の夏休みに入ったので、今回は元気を出したい時によく食べる、カレーについて考えてみた。
生まれて26年の間に、カレーの立ち位置は大きく変わったように思う。
まず、外食で食べるカレー。
平皿に無造作に盛られた白飯、茶色のルーに赤と黄色の破片。所謂”いらすとやのカレー”は今や外で探すのは逆に難しい気さえする。
私が小さい頃は、外で食べるカレーといえば、CoCo壱かファミレス、あとはサービスエリアくらいだったのが、今や、あちこちにエスニック料理のお店やカレー専門店がある。帽子みたいなお皿に骨つきの鶏肉と素揚げされた野菜が整列していたり、銀色のプレートの上に、小さいボウルがいくつも並んでいたりして、すっかりよそ行きの装いになった。一緒に食べるものも、白米だけでなく、黄色や赤のお米に、小麦や豆を伸ばしたものまであって、一つの食のジャンルを背負うぞという気概を感じる。
家で食べるカレーも同様に変わった。
実家にいた頃、母親が作るカレーはシチュー用の牛モモ肉を大ぶりに切ったのが入っていた。仕上げにダークチョコレート、バナナ、りんごを入れて煮込んでいて、南国に感謝する味わいだった。家で一番大きな寸胴いっぱいに作るのを、4人家族で何日か掛けて減らしたのち、最後は出汁で伸ばしてうどんにするのが定番だった。(某テレビ番組で、この締め方は関西独自の食文化だと言っていたが本当だろうか)
上京して夫と二人暮らしを始めてから、家で食べるカレーといえばもっぱらレトルトである。無印良品とにしきや、あとは旅先で手に取ったものをいつも数種類ストックしている。作るときは、そのときに消費したい全ての野菜をフードプロセッサーで粉砕して、ニンニクとカレー粉で炒めて、冷凍庫に眠っている肉があればそれも入れて、トマト缶とウスターソースで適当に仕上げる。
食べる前に「買ってよかったお家ごはん 2020」でもおすすめしたカレーの恩返しとハリッサを入れれば、お店っぽい味になる。ヘッダーの写真は先日、マッシュルームと玉葱、豚肉で作ったもの。トマト缶の代わりにケチャップを使ってドライカレーにした。
こんな感じで四半世紀の間に”ヨソ”も”ウチ”も大変身を遂げたのだが
どこで食べるどんなカレーも「凝縮された生命力」を感じてか、食べると元気になるのは変わらない。
2021年もあと4ヶ月。美味しいカレーからパワーをもらって、華麗に乗り切りたい。
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