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忘れられない食事Vol.8 祖父と丁寧な食らし

先週、年始からアサインされていたプロジェクトが無事終了した。
消えゆく有給休暇を消化するために、GW明けまで21連休!
久しぶりにまとまった時間が取れたので、
二人の祖父と、普段あまり馴染みのない野菜(分葱と野蒜)について思いを馳せた。

3月が仕事の忙しさのピークで、複数のタイムゾーンを跨ぎながら会議に出て、資料を作って、レビューを受けて、少し寝て、その繰り返し。ロングスリーパーには厳しい局面だった。

そんな最中に、父方の祖父から家庭菜園で採れた分葱(わけぎ)が2kgほど届いた。分葱を知らない人のために補足すると、ニラとネギの間のような野菜である。根元に、小さい玉葱のような球根がついている。
葉の部分がすぐに黄色くなってしまうので、日曜日の午後を溶かして下処理を行なった。

上京して以来、分葱と向き合うのは3回目になる。
球根の塊を一つずつほぐして、土を流して、表面の皮を剥がす。
それが済んだら今度は葉と球根を離す。球根は髭根を落として、半分に切る。
葉は韮(ニラ)と同じ要領で、食べやすい大きさに切り分ける。
切っているうちに、鼻をつくようなツーンとした匂いがしてきて、だんだん目が痛くなってくる。
そして、母方の祖父と野蒜(のびる)採りをした時のことを思い出す。

野蒜を知らない人のために補足すると、分葱に非常に良く似た野菜である。
球根は分葱と違ってまんまるくて、触るとポロポロ外れる。
15、16年ほど前、理科の授業で「食べられる野草」について学んだ際、先生が河川敷で採れたという野蒜のバター炒めを持ってきた。

冷えていたこともあり、ニュルっと脂の食感がしていつまでも口の中に味が残っていた。お世辞にも美味しくはなかった。
それでも「道端に生えているものが食べられる」という事実に高揚して、興奮冷めやらぬうちに植物に詳しい祖父と一緒に、スコップを片手に淀川に繰り出した。

夕方になる頃にはスーパーの袋いっぱいに野蒜を収穫し、意気揚々と帰宅して母親に手渡したのが、夜のゴミ捨てで彼女がそれを食卓に並べるつもりがないことを知った。

社会人になった今なら、母親の気持ちは理解できる。
スーパーに行けば綺麗な野菜が安く手に入る時代に、道端に生えている草を食べる必要はないのかもしれない。
寝食を削って仕事をしている傍、指先を冷やして土の匂いと格闘するのは手間でないと言えば嘘になる。

それでも「地面から引き上げたばかりの野菜を食べている」という充足感は何物にも変え難いし、黙々と手を動かすと心が整う気がする。ついでに祖父孝行にもなるし、小学生の頃の自分を慰められる。

2kgの分葱はチヂミと味噌汁、野菜炒めになって、数日かけて私と夫の胃に収まった。

今年もまた、春が来た。

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