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お袋の味と俺のカレー【蜷局グルメ録②】

 好きな食べ物は何ですか?と問われると、返す刀でカレーと即答してしまいたいくらいにはカレーは俺の好物であるが、じゃあオススメのカレー屋さんはどこですか?と問われるとむむむむと返答に窮してしまうし、ココイチとかよく行かれるんですか?などと訊かれると相手の正気を疑ってしまう。

 俺はカレーが好きではあるのだが、家のカレーが好きなのであって、店で食べるカレーはそれほど好きなわけではない。得体のしれないトッピングがごちゃごちゃと乗った馥郁たる香りのシャバシャバスパイスカレーもたまに食うぶんには美味いとは思うが、俺の好きなカレーは、ルウで作る洋風カレーという名の日本カレーである。

 ああ、わかるわ。店で食う気取ったカレーもいいけど、やっぱ家とか学食で食うシンプルなカレーが一番美味いよな、などと共感を示すものも多くいようが、いやそれもやっぱり違うのだ。俺は俺の家で供されるカレーが好きなのであって、いわゆる「お家カレー」「食堂カレー」「キャンプカレー」のような陳腐で貧相な粉っぽい味わいのカレーは別段好きではないのだ。友人宅で食事を呼ばれてカレーだった時のがっかり感たるや筆舌に尽くしがたいものがある。

 我が家で供されるカレーというのは、使用する玉ねぎの量が多いからなのか、牛肉の量が多いからなのか、煮込み時間が尋常でなく長いからなのか、単に入れているルウが多いからなのか、ともかくいわゆる「お家カレー」とは一線を画す味の濃さと深さがある。その濃い味のルウをご飯に対して半量ほどの割合でかけて食うのが幼少期より俺の無上の喜びの一つである。

 親元を離れて独りで暮らすようになっても、俺はそのカレーの味が再現したくて、いくつもの「美味いお家カレー」レシピを試してみるのだが、なかなかうまくいかない。一時期はマッシュルームだのセロリだの風味の豊かな野菜をすりおろしてソフリットのようなものを味のベースにして作っていたが、それはそれで美味いのだけれど求めるカレーの味ではない。「料理研究科」の至高のレシピとやらを試してみても、食べる前から想像できる低俗な味わいしか楽しむことはできず、なかなか我が家のカレーは再現できない。何よりも許し難いのは、箱に書かれている表記通りに作るのが最も美味いのだなどとのたまう連中であって、「かわいそうに。本当にうまいカレーを知らないんだな」と俺の内なる山岡史郎は憐憫の眼差しを彼らに寄越してしまう。

 母にレシピを尋ねても芳しい返答を得ることはできず、曰くカレーなんかその日の気分で作るからちゃんとレシピなんて決まっていない、とのことである。たかだか家のカレーを作るのに四、五時間も煮込むのはそこそこ狂気じみていると思うのだが、母の感性は未だによくわからない。

 それでも何度も試行錯誤をしているうちに、3日間は掌から臭いがとれないくらいの膨大な量の玉ねぎを、生で食べたら号泣(わざと「誤用」をしているのだ!かかったな!明鏡国語辞典の間者め!!)必至の分厚さでくし切りにして、飴色には程遠いぐらいに炒めた後、形がほとんどなくなるくらいにまで長時間煮込んで、ほんのりお高めの市販のルウを適当に三種類ほどぶちこめばなんだかそれらしい味を出せるようになった。香りよりも辛さよりも、コクと旨味重視のカレーである。

 自分なりに満足のいく「俺の家カレー」が作れてからは、チェーン店やらコンビニやらでカレーを買うことなど考えられず、また俺は「俺の家カレー」なら一週間くらい平気で食い続けられるから、時間にゆとりのある休日なんぞに大量に玉ねぎを煮込んで「俺の家カレー」を作る日々が続いた。

 自分で実家の味が再現できるというのは、食欲を満たすという観点だけみるなら大変喜ばしく、その一方でお袋の味が思い出ではなく日常として具現化してしまうのはどこか寂しい。

 そんなことを思っていると、少し前にたまたま実家でカレーを食う機会に恵まれた。もう俺はこのカレーの味を再現できるようになってしまったんだよな……と妙にしみじみとした感慨にふけりながらスプーンを口に運んで衝撃を受けた。全然味が違うのである。ベースの味は恐らく同じで、大量の玉ねぎを煮込んだ旨味とコクが中核に鎮座しているのは変わらない。ところが、お袋の味カレーは俺のカレーよりもずっと辛く、刺激的で、有り体に言うと若々しい味であった。多分、俺のカレーよりも辛口のルウをたくさん入れているからなのだろうけれど、お袋の味を求めて作った俺のカレーの方がずっと穏やかで優しい味わいだったとは皮肉というかなんというか。まあ、どっちも「俺の家カレー」なのに違いはないからめちゃくちゃ美味いのは変わらないんだけど。


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