「ふける」は漢字じゃないのか
耽溺、という語が好きだ。
意味が、ではない。字面と、響きが、俺を魅了する。
耽も溺も単独ではどうってことないのに、耽溺と熟語になった途端、得も言われぬ滑らかさと艶かしさをもつ。思春期に見る邦画の濡れ場のような、危ういいかがわしさが漂ってくる。
その見てくれの妖艶さに比して、タンデキ、という音は意外にも健やかで、その隔たりがまた俺をおかしくさせる。耽溺、とあるからには、ぬるまゆ、くらいのいやらしい読みを期待するのに、タンデキ、とはこれ如何に。
ところで俺の使っている電子辞書はかなりの逸品である。第七版の広辞苑だけでなく、明鏡だの新明解だのという普段遣いのお供が収録されているのは勿論のこと、何と言っても白眉は日国が収録されていることである。清水の舞台から飛び降りる思いでクレジットカードのポイントを吐き出しただけのことはある。
魔性の語を憧憬の辞書で引く(ちなみに辞書を引くという行為は最も基本的かつ効率的な知の拡大手段であるが、同時に無限の解釈の可能性を有限化してしまう寂しさを伴う行為でもある。オリオン座の姿を認識してしまう絶望と同じ類であるが、それはまたいずれ書こう)。
「ある境地にふけり溺れること。特に酒や女色などにふけり溺れること」
さすがは日国。殆どの辞書が「酒色に溺れる」としているところ、わざわざ酒や女色、と分けている。女色とはこれまた強烈な語である。初めて見た語であるが、意味は匂い立つほどにわかってしまう。何と読むのか定かではないが、「にょしょく」と読むのだろう、そうに決まっている。そうでなければならない。
好きな語を調べて好きな語に遭遇する。喜びというべきか、呪いというべきか。