#155 あそびことば

 深更に入る。そういう時間にキーボードを叩いている。

 深夜テンションなどという言葉がいつからあったかなど知らないが、人間の精神を高ぶらせるのは、古今東西を問わず真夜中の闇を仄かに照らした空間だったに違いない。ラスコーやアルタミラの壁画は夜中にどうかしてしまったクロマニョン人によって刻み込まれたのだろうし、北京原人だって未明に焚き火の残り火で愛を語らったに決まっている。そうでなければならない。そういうことをしでかす残念な遺伝子が淘汰されずに現在まで生き残っていて、だから俺たちも深夜にならなければラブレター一つ書けやしないのだ。


 窓の外から温い雨音が聞こえる。

 「遣らずの雨」という語がふと頭に浮かぶ。客人が帰るのを引き止めるかのように降ってくる雨のことを言う、なんとも奥ゆかしい語だ。俺はこの語を20代半ばで知ったのだが、どうしてもっと早くに知ることができなかったのかと悶絶したものだ。この言葉を、この概念を、あのときに知っていれば、もう少しは気の利いたことを言って、もう幾分か艶のある青春の日々に突入したのではないかと、そんなことばかり考えているうちに大人になってしまった。体格はあの頃と何ら変わらないのに、悟性ばかりが円熟していく。感性が鋭敏になっているのか鈍磨しているのかはとんと見当がつかぬ。


 前途茫洋たる紅顔の若人らの無知に鞭打つという厚顔無恥な仕事をして糊口をしのぐ生活をしてもうすぐ20年ほどになる。無賃の分際で孤高を気取り同輩たちを群れる鴻雁こうがんとして侮蔑することに夢中で亡羊の嘆とは無縁であった若人の頃の俺の目に、現在の俺はどう映るのだろう。現在の俺の目に若人の頃の俺はどう映るのだろう。どちらの目にも「こいつは大した人間だ」と見える限りは、それなりに幸せな人生といってよかろうか。

 こんな自分がどうにもたまらなくなる、という思いとはいつの間にかさっぱり疎遠になった。やはり学生時分は多感なお年頃であったのだろうと回顧して思う。そういう気分に浸っていたという思い出自体も、あるいは現在を肯定するための幻想なのかもしれないけれど、その真偽を確かめる高尚な作業は未来の俺に丸投げすればいい。現在の俺が優秀なように、未来の俺もきっと優秀だから心配はいらない。


 劇的な瞬間というものなど人生には存在しない、と気付いたのはいつだったろうか。母にめちゃくちゃに怒られたときだったか、身内の訃報を耳にしたときだったか、あのこがどうやら俺に気がないとわかってしまったときだったか、細かくは覚えていないのだけれど、まあともかくそういうとてもとても悲しい気持ちになったときのことだ。テレビからお笑い芸人やタレントのガヤガヤした声が流れていて愕然としたのだ。俺がこんなに悲しい気持ちでいるのに、下品な笑い声が背後で鳴っている。

 俺の人生にBGMは流れないのだ、とあのときに受けた衝撃は今でも忘れることができない。当時はそのことにとても失望したものだけれど、その認識がなければ俺は今でも過剰な期待に囚われていたに違いない。あのときだけが唯一の劇的な瞬間であったのかもしれない。啓示というものはおそらくそういうものなのだろう。


 空を飛ぶ夢を見る頻度が減った。週に一度は必ず空を飛ぶ夢を見ていて、身体感覚としてどうすれば空を飛べるかもだいたい分かっていたのだ。だからいつか本当に空を飛べるようになるのだろうと思っていたのに、夢の経験がご無沙汰になるにつれ、身体感覚も忘れつつある。空ってどうやって飛ぶんだっけな。これじゃどっちが夢なんだかわかりゃしない。

 考えてもみろよ、もし自分の体からビームが出るとしたらどこから出るっていうんだ?手のひらからに決まっているだろ?膝小僧から出るのか?肩先から出るのか?脇腹から出るってのか?そんなわけないだろ?手のひらに決まってるの。だから手のひらってのはエネルギーの象徴なんだよ。だから俺は手のひらをポケットに突っ込んでるわけ。大事なものなんだよ、手のひらってのは。そんな無防備に外に出すもんじゃないんだって。え?ビームなら目から出る可能性もあるだろって?いい感覚してるじゃん。だから人と目を合わせるのは怖いだろ。にらめっこなんてゲームが成立するのは、つまりそういうことじゃないか。

 そんなことを言っていた記憶があって、もちろんそれが現実か夢かなんてことはわかりゃしないしどうでもいい。そのときに比べれば随分と俺も思慮深くなったから、人生を百万回くらい繰り返さないとどうやらビームは体から出るようになりゃしないってことが薄々分かってきたのだけれど、未だに俺はポケットに手を突っ込んで歩いている。百万回に一回の奇跡がもしも現世で起きてしまったときに、暴発したビームで他人を傷つけないようにしているのだと考えれば、ちょっとだけ誇らしいから、多分あと十年くらいは突っ込んだままなのだろう。冷え性だしね。


 丑三つを超えて暁が近づく。平安貴族なら解いた夜半の下紐を結び直す時間なのかもしれないけれど、俺は令和貴族だからこんな時間はロマンティックでもなんでもない。明日に響かぬように夢路に向かおう。ビームも出せないつまらない夢を見るのだろうけれど、目覚めたら空を飛べるようになっているかもしれない。もう身体感覚は知っているから、そうなっても別に劇的ではないんだけれど、やっぱりウキウキはしちゃうんだろうな。





 

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