「恥ずべき誤りまたは存在しない記憶」【9月29日(日)】
日曜の分の日記はサボるといったな。アレは嘘だ。代わりに土曜日をサボることもある。サービス業は土曜も日曜も等しく忙しいのだ。
「西向く士」として覚えていたはずなのに、9月が小の月であることを失念していた。おかげであと3日あると思っていた締切が、あと2日しかないという事実に気づいて絶望している。語呂合わせなどという軽薄な記憶法は日常生活で何の役にも立ちはしないのだ、ガッデム。そんな思いで職場に向かうと、同僚も全く同じ勘違いで頭を抱えていた。やはり人類には現行の暦システムは複雑怪奇すぎるようだ。
俺は国語の先生であるがゆえに学校の定期テストや入試の現場で減点されないような、標準的な言葉の意味やら読みやらを教えなくちゃいけないのだが、一方で生々流転する言葉の性質のことを人並み以上には理解しているつもりであるから、あまりに「誤用」に対して敏感な人間に生徒を育てたくはないという使命感も有している。「御用だ御用だ!」と声を荒らげて誤用を取り締まる明鏡国語辞典の間者で溢れかえるような未来は御免被るのだ。
だから、「重複」は「ちょうふく」と、「固執」は「こしゅう」と、「早急」は「さっきゅう」と読まなければならない、と教えるようなことはしない。もともとはそう読んでいたが、世の中の人間は諸君と同様熟語の読みなどに無頓着な愚か者ばかりであるから、次第に「じゅうふく」「こしつ」「そうきゅう」と読まれるようになって最近ではそれらの読みも認められるようになってきているため、あまり気にする必要はない、こういうデリケートなところは、日本語に対してマトモな知識と感覚を有している人間なら試験問題としては扱わないのだが、世の中にはマトモでないことを美徳とする偏屈な国語教師という化け物もいないではないから、万一試験で出題された場合は、自分はそうした世の不条理を察知して受け流すことのできる社会適合性を有しているのだとアピールするために、「本来の読み方」を解答欄に書くぐらいの心の余裕はもっておいたほうが良い、というような教え方をする。
そうした言葉の例の一つに、「批准」があって、もちろんこれは「ひじゅん」と読むのが正統なのだが、「ひすい」と読む人も増えてきているのだ、とこれまで20年近く教えてきたのだが、最近きちんと辞書を引いて慄然とした。
「ひすい」という読みを載せている辞書は一つとして見当たらないのだ。
一つもない。日国や広辞苑はもちろんのこと、「独壇場をどたんばと読むのは誤り」と、誰もしたことがないような用例まで引いて世間に正しい言葉の使用法を啓蒙しようとする明鏡国語辞典までもが、「ひすい」読みについては一切触れていない。
そんなバカな、と思い、ネット検索してみても、「批准」を「ひじゅん」と読むのか「ひすい」と読むのか、という題材を扱った記事はヤフー知恵袋くらいしか見当たらない。
おかしい。俺は確かに中学二年生か三年生のときの社会の授業で初めて「批准」という語を習ったとき、これは「ひじゅん」とも「ひすい」とも読むのだ、と教えられた記憶があり、その後、「誰何」という珍妙な法律用語の読み方が「すいか」であると大学で知ったときも、ああ、確かに「批准」の「准」も「すい」って読むことあるもんな、と納得した記憶まであるというのに、「批准」を「ひすい」と読むことがあるなどと考えていたのは、俺(とヤフー知恵袋などに投稿しても正気を保っていられるような魑魅魍魎の類)ぐらいだったというのか?
慌てて漢字辞書を引いてみたのだが、そもそも「准」に「スイ」などという音読み自体が存在しないじゃないか!いや、それはそれでなんでなんだ!「錐」も「推」も「誰」も「雖」も「騅」も、全部「スイ」って読むだろうがよ!「隹」が「スイ」と読む音符じゃねえのかよ!あぁん?確かに「隹」は「スイ」と読む音符であるのは事実だが、「准」はそもそも「準」の略字体であって、「準」の音符は「隼」で「シュン・ジュン」という読みだから、「准」を「ジュン」と読むことはない、そもそも音符が異なるのだって?……それは全くその通りだな。俺が愚かだったよ!すまんな!
そういうわけで齢37にして、また一つ自らの誤りを知り俺は一つ偉くなったのだが、それにしても人口に膾炙しているとは決していえない読み方を勝手によくある慣用読みと認識して、「批准」を「ひすい」と読むこともあるのだ、などと考えていたというのは恐ろしい。当時の中学の社会教師を恨みたくもなるが、それ以外に当時の社会の授業で印象的に覚えていることなど一つもないわけで、「先生からひすいという読みがあることを教わった」という記憶自体が都合のよいすり替えなのかもしれない。何かの勘違いで俺が勝手に「ひすい」と読むこともできるな、と勝手に理解し、それに正統性をもたらすために記憶を改竄した可能性がないとはいえない。
存在しない誤用をでっち上げてそれについてしたり顔で講釈を垂れていたのかと思うと背筋が寒くなる。
俺も知らぬ間に明鏡国語辞典の間者の一員として振る舞っていたのかもしれない……他人の記憶にまで介入してくるとは明鏡国語辞典恐るべし。彼奴らの脳内侵入電波を妨害するために、俺もアルミホイルを頭に巻いた方がよいのかもしれない。