「臨終の言葉」「辞世の歌」受賞作
京都東山・高台寺が北政所ねね様四百年遠忌の記念行事として「臨終の言葉」と「辞世の歌」を募集し、このほど受賞作が発表された。
高台寺執事長の奥村紹仲氏は「天下を統一し、栄華を極めた秀吉公は、死にあたり全てを達観し、悟りの心境に入っているような辞世の歌を遺されています。辞世のことばは、その人自身の死生観、人生観から出てくる心に響き、心に残ることばだと思います」という。
奥村執事長によると、今回の募集で「臨終の言葉」に201首、「辞世の歌」に360首の応募があった。
「臨終の言葉」部門の最優秀賞は佐賀県唐津市の古賀由美子さんの作品。
すべては 偶然だったかもしれないけれど、
なんて素敵な偶然だったことだろう
「出会いは偶然ではなく必然ともいわれています。私のちっぽけな人生に素敵な偶然をめぐり合わせてくれた運命に感謝しています」と古賀さんは受賞にあたって述べた。
選考委員からは「いつか来るその日の前に、何度でも使える偶然がありますようにと祈ります」との選評が寄せられた。
「辞世の歌」部門の秀吉公賞の受賞者は北海道札幌市の藤林正則さん。
一生を
耕し続けた黒土に
我が身は還るゆっくりかえる
藤林さんは「一生涯をかけて耕し続けた土に、黒々とした土に、自分自身が還ってゆくのは自然の姿です。しかし営々と耕し続けてきたものは自分の生きざま、心であるかもしれません」という。
選考委員会からは次のような選評がなされた。
「作者は農業に携わって来たとも思える。もちろん歌の直接的解釈としてはその通りながら、事実は違っていても構わない。なぜなら農耕民族の血を濃く引く日本人に取り、黒土を耕すとは汗水垂らして労働に打ち込むことの象徴表現となっているからである」。
そして「ねねさん賞」は神奈川県川崎市の高橋嬉文さんに贈られた
死ぬるまで
やりたき事をあれこれと
持ちて生きたし 成しえなくとも
「京都の歌人で短歌誌《京阪奈》を主宰する西谷和子さんに勧められて応募しました・・・この世に未練が有る様な無い様な歌ですが、ねねさん賞を賜り、大きなお励ましを頂き、誠に嬉しくこれからも言葉の力を信じて励みます」と高橋さんは述べた。
選評(京都歌人協会会長 田中成彦氏)は「仏教の教えから見ると悟りには程遠い執心である。この点で注目したいのは結句である。「成しえなくとも」と記しているが、むしろ「成しえない」ことを前提としているかのように受け取れる」。
「結果はともかくとして「今やりたき事」を持つことがすなわち生きる意味ではないかと思わせる勢いを持つ。執心を捨て去れないと素直に認めることこそ、むしろ今日における逆説的な悟りなのかも知れぬ」。