浅丘ルリ子トーク&シネマ③
イベント「~浅丘ルリ子 トーク&シネマ~『1960年代 日活映画☆浅丘ルリ子』」の2日目が2024年5月14日(火)に東京有楽町I'm a showアイマショウで行われたのを見た。
同日午前の映画は「夜明けのうた」(1965年:蔵原椎繕監督)。失明を予告されている少女とその恋人の純愛が、愛の焦燥に悶える一人の女優を新しい人生の出発へと導く人間賛歌の青春ドラマだ。
途中までよくあるPTA推薦的なヒューマニズム映画に堕した作品だったらどうしようと心配しながら見ていた。
縦軸に清く正しいヒューマンストーリー。そして横軸には、それを中和するかのような破天荒な若者文化。それを織りなして見せる趣向かと思った。
だがやはり蔵原作品だ。一筋縄ではいかなかった。
夜明けは若いカップルにとっては「初夜」を明かしたリアルな夜明けであって、一方の浅丘演じる典子(てんこ)にとっては不倫を清算し、新たな人生を歩みだそうという意味合いの夜明けだったのだ。
典子は自分の不倫相手が待つホテルの部屋に若いカップルを連れてゆく。その場所を初夜の場所として提供する。そして自分は不倫相手と真の別れを遂げる。蔵原監督らしい粋(いき)が感じられる。
そして「夜明けのうた」という著書を典子は読む。そして筆者ー典子がかつて付き合っていた男ーに何も見ることなくダイアルして電話をかける。二人は話す。「君のために書いた本だ。君以外に渡す人はいない」。
ここにも新たな夜明けがあった。
モノクロ作品である。それについて浅丘さんは「白黒だから勝手に想像してこうだろうなって分かるような気がします。向こうの映画でもそうです。ちょっと日本的じゃないもの。あちら的なものがいっぱいあって、ここアップくるなって思うとアップがくる」。
「蔵原監督の素晴らしさは女性の心をよく分かってくださって撮ってくださっているので、気持ちよく仕事をさせて頂いてうれしかったです」。
この映画は非常に実験的でもある。冒頭はスチール写真が続く。そしてわずかな期間で浅丘の顔が変わっているのではないかと思われる。
「やっぱり顔って少しずつ変わっていくもんだなって。そういうのをちゃんと分かって撮ってくださってるんだなと監督のことをいつも頼りにしていました」と浅丘さんは語る。
浅丘さん演じる主人公が典子のいわゆる「てんこシリーズ」三部作の最後がこの「夜明けのうた」だった。トークのお相手を務めた編集者の二見屋良樹さんは「ルリ子さんのために作られた映画。ラストのアップがすごい」。
そして1963(昭和38)年に浅丘さんは9本日活映画に出演しているがそのうちの4本で女性ではあるが主演を務めた。
二見屋さんは「今までにそういうことはなかった。日活自体がルリ子さんをもっと前に出さないといけないということだった」という。
浅丘さんはいう。「男たちばっかり相手にしてたんです。いいかげん嫌になってきました(笑)。私を主役でやってくれるなんてうれしいことでした。上層部もそういう思いがあってやって下さってるのは、長いことやってきたことへのご褒美かなって思ってやらせていただきました」。
一昨年、「夜明けのうた」が舞台化された。
浅丘さんは「見に行きました。前のほうの席にいて「最高!」って言ったら、その女優さんが途中で泣いちゃって、もう一回私が「よろしく」っていうとお芝居に戻ったんですけど」と話した。
時代劇を浅丘さんは好きだという。
「どれだけ東映、大映の時代劇を見たことか。(萬屋)錦之助さんの大ファンで、一度会った時、ひばりさんも一緒にいたんですけど、ずっと話していたら、ひばりさんのお母さんが「あら、お嬢よりこの人のほうが好きなの」って言われちゃって「違います」って答えたんです」。
また「嫉妬」という作品で浅丘さんは岩下志麻さんとキスをしたという。「気を失っていた私に水を飲ませるシーンがあって、生まれて初めて女の人と唇を合わせたんです」と浅丘さん。
二見屋さんは「岩下さんは「女性の唇って柔らかいのね」と話してました」というと「私のが柔らかかったのよ」と浅丘さんは返した。
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