映画「ある精肉店のはなし」
人間は他の命ーそれが動物であれ植物であれーを食べることなく生きることは出来ない。しかし現代ではそのことがベールに隠れ、あるいは意図的に見えないようにされ、我々はそれに気づかなくなっている。
だから、肉というのはスーパーで切り分けられて部位ごとにパックに入れられて売っているもので、お茶というのはペットボトルに入っているものだと思っている人もいるというのだ。
昔はまだ動物や植物がいかに食べ物になっていくかを見る機会があった。ニワトリを絞めるのを見て鶏肉が食べられなくなった人がいたり、春になるとどこにどんな山菜が出るかをよく知っている古老がいたりした。
我々が失いつつあるそんなリアルな感覚について考えさせられる映画「ある精肉店のはなし」(2013年/日本/108分/監督:纐纈あや)を2024年11月28日(木)にポレポレ東中野で観た。
映画は冒頭から屠畜の場面から始まる。牛を一発で殺し、解体してゆく。流れ出る血。白くやわらかな脂身。でっぷりした大量の内臓。それらを職人技でさばいていく北出精肉店の家族の面々。
それらが命であるという意識をきちんと持っているところがいい。北出新司さんは本当はもっと生きることができる命を絶たれてしまうが人のために肉となってくれる牛たちというような言い方をしていた。そうなのだ。だからこそ、牛たちに感謝して、鎮魂の儀式も行われる。
命を食べているということが第1のテーマだとすると、屠畜というのは生業であり、それは職人の仕事である。それが第2のテーマだろう。
命あるものを食べることを可能にしてくれる牛の飼育、屠畜、販売を一貫して行う職人でありプロとしての生業である。
そして第3のテーマは、映画では声高に語られておらず控えめだが、屠畜を生業としている人たちが受けて来た差別の問題である。そういった人たちがいてくれてこそ肉を食べられるのにである。
そしてこれはやや余談になるが、芸能と被差別部落の人たちとの関係性もこの映画で垣間見ることができるように感じた。
貝塚の人たちがとりわけ楽しみにしていることとして盆祭りがある。昔は若い女性などは普段夜遊びなんてとんでもなかったが、このお祭りの時だけは例外で夜通し遊びまわることが出来たという。
今はそういう「スペシャル」な感覚はもうないのではないか。
そしてその祭りの片づけが終わると次は岸和田のだんじり祭りの準備になるという。太鼓に張る皮も北出精肉店が用意する。皮革の加工などもまさに職人技である。そうした人たちがいなければ太鼓も出来ない。
もともと芸能者というのは「河原乞食」などと称されて蔑まれた。誰も所有しない河原しか行く場所居る場所がない人たち。彼ら彼女らが芸を武器に差別に抗って文字通り生きてゆく。その生きざまもまさに芸。
血というのは穢れとされてきた。獣を殺す仕事というのはそれだけで忌み嫌われた。そして皮革を扱う仕事もそうだった。
映画の中で差別について北出新司さんが差別をする側が変わらないといけないが同時に差別を受けている側-自分たちが変わらないといけない―との発言をしていた。私はこの言葉はよくわからなかったのだ。差別をする側が「悪」であって、受ける側には何の非もないではないか。
この映画の舞台、貝塚の屠場の始まりは1910年、嶋村(東村の旧名)の村立として設立された。周辺地域から排除され、孤立していた嶋村ではこの屠場による上がりが村の予算の柱となった。
施設は行政が管理した。1963年に木造から鉄筋コンクリート建てになり、機械化もなされる。1970年代半ばまでは年間300頭が処理されていたというが、流通の変化や激しい価格競争、高齢化による廃業などで2010年には年間40頭にまで減少した。
そして2012年3月に閉鎖となる。この映画ではその際の最後の屠畜までを追っている。冒頭とポスターで使われている写真は最後の屠畜を終えての家族による記念撮影だった。