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お金は「手段」であって「目的」でない
お金を使うときの「罪悪感」
「お金を使う」という言葉に罪悪感を感じてしまう。
無駄遣いはもちろん、欲しいものを買ったときも、欲しかったものなのに
「お金を使ってしまった」と感じる
お金を使うことは悪いことなのだろうか
そもそもお金って
学生の頃習った「はるか昔は物々交換で、お金が使われるようになった」と
つまり、「物を手に入れるための道具」なのだ
また、お金を使わないと経済が回らない
「お金は使うものなのだ」
お金を使うのが嫌ならできるだけやめてみればいい
・安いものを買ってみる(特売しか買わない、安いものしか買わない)
・娯楽をやめてみる(おこづかいを一切やめて食費、日用品、光熱費、家賃、交通費、食費だけにしてみる)
・貯金ばかりしてみる(余力などなく、ただ貯金)
書いてみただけで、心が切なくなった
さすがにできる気がしない。
「お金を使ったこと」にフォーカスするのは違う
「物を手に入れるためのお金」ならば、「手に入れた物」にフォーカスするのが正常だと思う。
たとえば、時間をかけて素晴らしい絵を完成させたとして、「時間がかかってしまった…」
と思うだろうか
出来上がった絵の素晴らしさを考えていたい。
お金も同じだ。
値段以上の「お金の価値」を考える
例えば旅行先で時間が限られているとき
安い普通列車ではなく高い新幹線に乗るとする
単に「遅いけど安い」「早いけど高い」という表面的な事ではなく、
「新幹線に乗って早く着いたら、見に行く観光地を一つ増やせて、そこでなにか素敵な気持ちになれるかもしれない」
そう考えることはできないだろうか。
経験や気持ちはお金では表せない。
お金を使うとき気持ちがプラスされると価値が上がる
物を手に入れたとき、自分の価値観に合うと、満足感が高まると思う。
「これでいいや」と適当に買わず、考えて買う
迷って迷って探してぴったりのものを手に入れる
高いものを買った時は、「高い物を買った」という優越感などから気持ちが上がるかもしれない。
逆に、お得に買えたのなら「安く買えた満足感」が得られるかもしれない。
しかしそれが自分の価値観にあっていればの話だとおもう
自分の中で、どんなものにお金をかけるか
どんなものはこだわらないかをしっかり持つことで
お金を使う罪悪感は減ると思う。
どんなものにお金をかけて、どんな物をきりつめるのか
当たり前だが、価値観はそれぞれちがう。
私の父親は車が好きでこだわって買うが、服はなんでもいい
でもわたしは車は今のところカーシェアでいいけれど体にあったいい服を長く着たり、ファッションを楽しみたい
どちらも正解、不正解はない
結局、「自分を持つこと」が課題なんだなあと思う