落語日記 麻雀仲間の落語会
RAKUGOもんすたぁず CHAPTER81
12月6日 門前仲町 古石場文化センター
2013年1月開催の回以来通っている会。好きな四人のネタ出しの会。この会を始めた切っ掛けは、この四人が麻雀仲間であり、四人で会をやれば麻雀のスケジュール調整が出来るから、そんなことだったらしい。それが81回を数えるまで続いている。
今年はコロナ禍の影響で延期となったり、開催されても日程が合わず、1月19日開催の喬太郎師匠をゲストに迎えて行われた新春特別公演以来の参加となった。ほぼ一年ぶりのご無沙汰となってしまった。
感染症対策で、受付で連絡先を記入して入場。いつもなら、レギュラー出演者のどなたかが受付でお出迎えするところだが、今回は会場の係員のみ。終演後も見送り無し。観客と演者との距離が近いのがこの会の魅力なのだが、感染症対策のために挨拶できないのは致し方がない。
オープニングトーク
レギュラー四人の皆さんを揃って拝見するのは久しぶり。皆さん相変わらずの様子。お元気そうでひと安心。志ん陽師匠のお腹周りがいくぶん成長されたよう。燕弥さんのヘアスタイルが、今風の若者のようになっている。そんな若干の変化。
この日は、いつものように四人で高座に座らず、ソーシャルディスタンスを保って舞台に立って話す。それぞれが、出演される会を告知。皆さん、仕事があるようで良かった。
春風亭いっ休「桃太郎」
坊主頭で、見かけから付けられた芸名なんだろうなあと想像。語り始めると、口跡鮮やかで本寸法な芸風という印象。将来が楽しみな前座さん。
柳家小傳次「うなぎ屋」
小傳次師匠も、よく見るとお顔がふっくらされたかも。コロナ禍で仕事や生活習慣が変わって、この一年で体形にも影響はあるだろう。しかし、語り口は変わらずお元気な様子。
この演目は夏に掛けられる噺のようだが、中止になった5月の回でネタ出ししていた演目だったが、この回で再挑戦ということにしたそうだ。実は鰻の本当の旬は秋です、そんな説明もあった。
鰻裂き職人がいなくなって困っている店に乗り込んで、タダ酒飲みたい男の悪知恵で困ってしまう店主を笑う噺。弱みに付け込む小悪人の所業を笑い話にするという設定。なので、気持ちよく笑うには、テンポ良く聴かせてもらうのが大事な噺だと思っている。小傳次師匠は、リズミカルでとんとんと進行してくれるので、観客としては何も考えずに笑えることができた。
恒例となった小傳次師匠の暮れの余興が、バイオリンの演奏。落語を終えて着物から、タオル鉢巻きの大工姿に着替えて、まずはベートーベンの第九を演奏。次の曲はよく分からないまま終わる。最後の曲が津軽海峡冬景色。原曲を知っているほうが、小傳次師匠の演奏のたどたどしさがよく分かる。上達しないところが売りなのだ。
春風亭三朝「くしゃみ講釈」
三朝師匠は浅草の主任興行で拝見したばかり。この日のネタは、三朝師匠では初見。聴いてみて感じたのは、この演目は三朝師匠にピッタリのネタだということ。色事にまつわるエピソードあり、ボケ倒す会話あり、覗きカラクリの音曲あり、くしゃみを炸裂させる仕草ありと、三朝師匠の明るく軽妙なキャラを活かせる噺なのだ。
兄貴分との会話でボケまくる弟分の男。コショウを買いに行くだけの話を、延々と続ける。乾物屋に行っても、同様にボケる。与太郎ではない間抜けキャラ、落語世界では粗忽者と呼ばれている。と言うことは、三朝師匠は粗忽者キャラが上手いということなのだ。
覗きカラクリの口上というか唄というか、これがなかなかに楽しい。ボケて良し、唄って良し、そしてメインのクシャミ良しだ。いずれ三朝師匠の十八番と呼ばれる噺になるかも。
今は、咳やクシャミに敏感なご時勢。なので、観客としては、噺の筋書よりもクシャミの仕草が気になってしまうかもしれない、なんて思ったりした。三朝師匠も登場人物のセリフで言わせていた。「今のご時勢、クシャミをすれば白い目で見られる、ただの風邪です」と。
仲入り
柳家燕弥「尻餅」
燕弥師匠のネタ出しは、季節に合わせた暮れの風景を描く演目。買い物のツケの回収で、掛け取りが大勢押し寄せる大晦日は、家々での掛け取りとの攻防戦がひとつの風物詩となっている。そこで落語も「掛け取り」や「睨み返し」などの暮れの風景を題材とした噺が、この時季にはよく掛けられる。この噺も暮れの風景なのだが、掛け取りとの攻防戦ではなく、正月用の餅つきが出来ない貧乏夫婦が、女房の尻を叩いて、餅つきをやっている風を装うという見栄っぱりの噺である。
女房が着物の裾をまくって尻を出し、亭主が手の杵でつくという馬鹿馬鹿しい風景。こんなことを夫婦でやっているという光景が観客の頭に浮かべば、この噺は大成功だ。燕弥師匠は、どちらかと言うと端正で本寸法な芸風で、ハチャメチャな騒動のイメージではない。しかし、この日の燕弥師匠は、嫌がる女房と、見栄っ張りの江戸っ子亭主の夫婦の会話が妙に可笑しい。見栄を張るために、その行動の馬鹿馬鹿しさや恥ずかしさが頭から抜けてしまっている能天気な亭主を好演。きりっと真面目な印象の燕弥師匠だけに、この噺の可笑しさが増している気がする。
古今亭志ん陽「お若伊之助」
この日の主任志ん陽師匠が挑むのは、圓朝作と言われている「お若伊之助」。この演目は「根岸お行の松 因果塚の由来」という全九編の大作の第一編にあたる。この序盤部分のみを切り出して「お若伊之助」との演目名で掛けられている。三代目志ん生師や志ん陽師匠の先の師匠であった志ん朝師匠が得意としていた演目。この日の志ん陽師匠の一席も、おそらく志ん朝師匠の型だと思われる。私は、生の高座は過去に雲助師匠で聴いたのみ。筋書自体も忘れていた。
圓朝物らしく、悲恋の物語に加えて、狸が化けて人間と関わるというファンタジー色の強い因縁の物語。これを落語として楽しめるように構成したのが、志ん生、志ん朝、圓生という三人の先達の皆さんの功績だろう。
正蔵師匠の住まい根岸に、この噺に所縁のある「お行の松」がある。楽屋で正蔵師匠と話す機会があって、この演目のことや松のことを聞いてみると、是非見に行ったほうが良いと勧められ、実際にいって見て来たというエピソードをマクラで披露された。
本編は、筋書きが若い男女の悲恋と、娘が狸に騙されて子供を身ごもってしまうという恐ろしいもの。圓朝物の怪談として掛けても通じる噺だと思われる。しかし志ん陽師匠の高座は、鳶の頭などの滑稽者のキャラが活躍するという、明るく笑える雰囲気が漂うもの。深刻な場面も、志ん陽師匠の持ち味である明るいトーンで、きっちり落語になっている。
おそらく、志ん陽師匠は志ん生・志ん朝路線を承継しているのだろう。下げの唐突さは、長編の序盤なので致し方ないと思う。
先の師匠の芸を承継しようという意気込みが感じられた志ん陽師匠の高座だった。
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