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地方の商店街で働いていた若者が、東京で未経験Webエンジニアになった話

はじめまして。空気清浄機と申します。30歳男性です。
2020年に上京し、現在は東京の西の方に暮らしながら、フリーランスとしてWeb制作・開発などのお手伝いをしています。

私の経歴は以下の通りです。

2017年:大学卒業。地元の小さな商店街で働き始める。楽しい。
2019年8月:体調を崩して休職。1ヶ月後退職。
2019年10月末:インスタで東京のIT企業(SES)の広告を見て応募。
2019年11月:内定をもらう。この時の貯金残高44円。
2020年1月:上京。そしてコロナ禍へ。
2021年1月〜2024年1月:メガベンチャー企業を中心に3現場の案件を経験。
2024年5月〜:フリーランスとして奮闘中。

新卒で地元の商店街で働き始めた時、自分はずっとここで働き続けると思っていました。しかし体調を崩したことをきっかけに立ち止まった時に、急に「上京」という選択肢が出てきました。

その時は貯金もほぼなかったのになぜその選択ができたのか。この記事では、そんな当時地方に住んでいた20代の自分が未経験から東京のIT業界に入った方法や、その後退職までの現場経験に焦点を当てて書いていこうと思います。

今キャリアに迷っている20代の方(もちろんそれ以外の年代の人も)、特に地方に住んでいる方の背中をちょっとでも押せたらなと思っています。


新卒時代

新卒で入社した会社は、商店街を管理する小さな株式会社でした。
家族経営を軸に、当時従業員は自分を含めて2人。マンパワーが少ないですが、ポジティブに捉えれば裁量がありすぎる会社でした。

そこでの業務は主にWebサイト・SNSの更新やイベントの運営補助、新規事業の企画、小売事業など、広く浅く様々な業務に携わっていました。

また、大学3年からその商店街の中にある大衆割烹でアルバイトをしていたこともあり、予約が多い日はその店の手伝いもするなど、朝から晩まで商店街にどっぷり浸かる日々。忙しいながらも人には恵まれていたため、毎日を乗り切れていました。

体調を崩し退職へ

2018年夏頃に1つの新規事業の企画を任されました。
具体的な内容は今回の主題から外れるので割愛させていただきますが、当時の自分にとってはかなり負荷のかかるものだったと思います。

当時は研修などもなく、周りにうまく相談できなかったため自分でも「どこが分からないかすら分からない」状態でした。また、仮に自分で調べたとしても「何が正解かわからない」という状態でもありました。

こうした積み重ねがある日ズシンと来てしまいました。

インスタで見つけたIT企業

2019年8月に体調を崩し休職、9月いっぱい休みましたが、その時点で元の仕事に戻れるか、戻ってまた頑張れるか怪しかったため一旦退職の運びとなりました。

10月に入り「これからどうしようか」と考えていた時、たまたまインスタを眺めていると「未経験からエンジニアに!」の文字が。

よくあるSES企業の広告ではあるのですが、クリックした先のサイトにあった社員のインタビュー記事を読むと、「文系未経験でもエンジニアとして活躍できました!」というような内容が書かれていました。(よくありますね。)

文系出身の私。それまでITに関して無知だったものの、その時は意外にも興味が湧き(湧いてしまい)、ひとまず東京で開催されていた体験会に応募。10月末のことでした。

体験会に参加した後、面接に進むかどうか尋ねられた自分は、今までであれば「東京へ体験会に来て満足」で終わっていたかもしれませんが、「受かるかも分からないし、とりあえず面接はやってみよう」と思い、挑戦してみることにしました。

転職に向けての準備

とは言ったものの、初めての転職活動だし、未経験の業界だしどうしようと内心は少し焦っていました。

ただ、今まで商店街でやってきた業務もかなりのアピールポイントになりました。以下3つはその中でも特に強みになったポイントです。

  • コミュニケーション能力

  • なぜエンジニアになりたいのかを明確に(将来像も合わせて)

  • なぜ地方から上京するのか

詳しくは下記の記事で書いているので、よければ併せてご覧ください。

上京の準備〜お金がない!〜

さて、内定はいただいたものの、入社は年明け2020年1月。まだ2ヶ月くらいあります。

その時の預金残高は44円。
「東京なんかに行っている場合ではなかった・・・」と少し後悔の念もありつつ、まずは年末までの短期のアルバイトを探しました。

見つけたのは近所の鮮魚市場。基本的には週4日ほど入って働きました。

また、東京で住む家については、最初から友人とのルームシェアを考えていました。見ての通り引越し費用もないため、これ以外に方法がなかったのです。

2人の友人に声をかけ、幸いにもそのうちの1人からOKをもらうことができました。

東京での仕事はひとまず見つかった。
あとは当面の生活費。もちろん短期アルバイトだけでは足りません。

その時私が考えたことは、「会社や事業を始める時に銀行から融資をもらう。であれば、自分が東京で新しく仕事を始めることをひとつの事業と捉えたとき、同じようにお金を借りてもいいのでは?」ということでした。

今考えると「ちょっと一旦落ち着こうか」と言いたくなるのですが(そもそも東京に行くという選択をした時も「落ち着こうか」という感じかもしれませんが)、でもあの時こう考えてなければ今こうして生活できていないので、当時の自分に感謝はしたいと思います。

幸いアルバイトを始めていたこと、東京での仕事は決まっていて返済に関しては給料から無理なくできそうであることを踏まえ、銀行のカードローンを申し込みました。その結果審査は通り、50万円ほど借り入れをすることができました。

「お金を借りる」ことは人に言いづらいことではあると思います。
自分もこの記事にするまでは特に人に言うことはありませんでしたが、お金を借りたことで、「仕事を続けなければならない」というある種の縛りができ、自分にとってはいい刺激にもなりました。

もちろん無闇になんでもかんでもお金を借りて解決するのは良くないと思いますが、そのおかげで自分の視野が広がったり、経験として得られるものが大きいのであれば、「お金を借りる」ということも選択肢に入れてもいいのではと自分は思っています。

ちなみに自分が借りたのは地元の地銀のカードローン。
テレビCMなどもしていたり、自分の口座を作っていたりしたので、他から借りるよりは安心して借りることができました。(返済は毎月最低1万円。現在は利息合わせて全額返済済みです。)

もしあなたが借りる場合でも、消費者金融ではなく、まずはこうした地元の銀行から調べてみるのもいいと思います。また、お持ちのクレジットカードやネットバンクに付帯しているキャッシング機能についても一度調べてみても良さそうです。

上京〜そしてコロナ禍へ〜

2020年1月にリュック1つ背負って上京。会社での3ヶ月の研修が始まりました。
国内では少しずつコロナウイルスの感染者数が増えてきた時期でした。

入社した会社はいわゆるSES企業。
SESとは、クライアント企業にエンジニアを派遣し、技術的サービスを提供する業態です。エンジニアは、基本的にクライアント企業のオフィスに常駐して(またはリモートで)業務を行います。

SESについて調べると、「SES つらい」「SES やめとけ」などネガティブな検索キーワードがサジェストがされることも多く、マイナスな印象を持たれる方もいるかと思います。

確かに企業によって当たり外れがあると思いますが、これはSESに限った話ではなく、どの業界にも多少なりとも当たり外れはあると思います。

しかしメリットとしては下記が挙げられます。

  • 派遣先企業では、正社員のような開発以外のタスクをする必要がないことが多い(不要なミーティング参加や事務作業など)

  • 現場が合わなければエンジニア側から申し出て変更できる

  • 派遣元とは正社員契約なので、有給休暇や交通費などが支給される

  • 一度現場が決まればその後の案件も決まりやすい

メリット/デメリットに関しては企業ごとに異なるため、やはり体験会やカジュアル面談などの機会があれば積極的に参加してみること、口コミサイトなどを見ることをお勧めします。

併せて、「なんのためにエンジニアになるのか」という目的や目標を(ある程度でも)持っておくことも未経験SES業界を生き抜く術です。

特に今後はAIがどんどん躍進してくる中で、これまでニーズが一定程度あった「未経験エンジニア」という立ち位置が危ういものになると思います。(これからは「未経験AIエンジニア」「未経験AIオペレーター」的なものが増えていきそうですが…)

その中で、自分はどの程度のスキルを身につけたいのか、どういったエンジニアになりたいのか、または少し広げてこの先どのように生きていきたいのか(例えば20代であれば「30代はこうなっていたい」など)を頭の片隅に入れておくと、大きく気持ちが崩れることが少なくなりますし、「先のことをちゃんと見据えている」ということが1つのアピールポイントにもなります。

目先の技術を追うこともこの業界では大切ですが、より大切だと思うのは、その根幹を知ることです。全ての先端の技術の根幹は必ず今まで築き上げてきた技術につながっています。技術の流行の変化が早すぎて正直嫌になることも多いですが、根幹を知っておけば、少なくともその激流に溺れることはなくなります。これは自分の気持ちにも言え、「どこを目指しているのか」という根幹を意識していれば、迷うことも少なくなるのではないでしょうか。

自分の場合は、「東京でバリバリエンジニアとしてサバイブしていく」というよりは、「ひとまず30歳まで働いてみて将来的に地元に還元できる経験を得る」ことを目標にしていました。そのため、少し大袈裟な言い方ですが流行の技術であろうがなかろうが全てが新鮮な経験に感じられました

プロジェクトやタスクの進め方、ミーティングの仕方、SlackやNotionなどのツールの使い方など、技術的な部分ではないところも全て学びになりました

目的や目標は人それぞれですし、それこそ「つよつよエンジニアになる」でももちろんいいと思います。「エンジニア像」や「期限」、「得たいもの(年収など)」など、ひとまず何かしら目的・目標を設定して、辛い時などに立ち止まって思い返してみることをお勧めしたいです。

少し話がそれましたが、通常の会社のスケジュールだと、研修終了後、1〜2ヶ月ほど待機期間があったのち、案件が決まり次第常駐先企業へ派遣されるという流れでした。
(※研修・待機期間中も給料は発生しています。手取り18万円ほどでボーナスもありました。)

しかしコロナの影響もあり、研修の終盤からは時短勤務、そして4月に最初の緊急事態宣言が出されたあとはリモートワークへの切り替えが行われました。

会社全体でも先行きが不透明なため、現場に派遣されていた先輩社員さんたちの派遣が停止されるなどあり、1月入社組の案件配属は後回しのような感じに。自分がようやく案件が決まったのは入社から1年後の2021年1月でした。

1年にわたる待機期間中は個人で勉強するほか、同期数人とチーム開発を行いながらスキルアップとモチベーション維持をしていました。

待機期間中の勉強法やモチベーション維持についてはこちらの記事に詳しく書いたので、もしよければ参考にしていただければと思います。

それでも中々案件の話が来ず、2020年11月に1度だけ転職活動をしました。
最終面接まで進んだのですが、その最中にちょうど案件が決まったこと、最低でも1現場は経験しようと思い、面接を辞退して最初の案件に臨みました。

東京でのお家事情

余談ですが、東京でのお家事情を少しご紹介します。

上京後しばらくは友人の家にルームシェアという形でお世話になっていました。1Kの部屋、セミダブルのベッドに男2人で寝るという今考えるとよくやったなあと思うのですが、当時は修学旅行みたいで、寝る前に今日あったことや他愛もない話で笑って寝るという微笑ましい生活をしていました。

お互いの仕事の時間が異なっていたため、会うのは基本寝る直前や二人が休みの日だけということもストレスが少なかった理由だと思います。

しかし、2020年4月に緊急事態宣言が出て2人とも在宅になった時にはさすがにしんどくなり、ルームシェアを始めて5ヶ月後、私は板橋区にあるシェアハウスへ引っ越しました。

東京のいいところは、23区内でも環境を選ばなければ家賃を抑えて住む家はたくさんあることだと思います。私は当時とにかく家賃を抑え、自分の部屋とWi-Fiがあれば充分だったので、シェアハウスという選択をとりました。

引っ越した先は自分の部屋にテレビやベッド、冷蔵庫もあり、水道光熱費全て込みで5万円と住むには申し分ない場所でした。ただ、住んでいる方がほぼ外国人で文化の違いがあったり、キッチンのゴミ箱が常に溢れかえっていたり、脱衣所が水浸しだったり、時々深夜に大声で盛り上がっている人がいたりと、多少ストレスはありましたが、共同生活なのでまあしょうがないかと割り切っていました。

結局このシェアハウスには1年近く住み、その後現在の家で1人暮らしを始めることとなりました。

初現場へ

初めての現場はバックオフィス系アプリケーションを扱うプロジェクトのフロントエンド開発案件でした。

フロントエンド開発とは、ざっくり言うとユーザーが画面で触る部分の開発です。(HTMLとかCSSとかいう部分です。)

開発体制はウォーターフォール開発。仕様がある程度ガッチリと決まった段階でエンジニアに降りてくるシステムです。規模の大きな会社やレガシーなプロダクトに多い開発体制ですが、自分は最初にこの案件に関われたことで、一通り開発からリリースまでの流れを把握することができました。

初めての現場なので、「何が分からないかも分からない」状態。
ですが基本的には相談すればサポートしてくれる体制だったので、まずは「とりあえず相談」を心がけ、開発中の大きな手戻りが起こらないように心がけていました。

まずは「相談すること」だけにフォーカスを置いて、そこから徐々に相談の仕方を工夫していきました。新卒社員みたいですが、自分は前職で誰かを頼ること自体が苦手だったので、とにかくまずは困ったら話しかけることに重きを置きました。

1つのことでも初めから完璧にやるのではなく、それをさらに細分化してその中の1つずつをクリアしていくイメージでいました。(1を5分割して0.2ずつ進めていくイメージ。苦手なことであればこれくらいから始めていった方が負荷が少なくなります。)

小さな0.2をクリアしていく中で、仮に相手から何かマイナスのことを言われても、苦手な分野や未経験の分野では、自分の中の「できた」をより大切にしてほしいです。

相談する相手は現場の社員さんだけでなく、自社のメンターも頼りました。
最初の現場ゆえ、本当に辛くなったら「ちょっとマジで無理です…(意訳)」とメッセージを送り話を聞いてもらうなど、「メンタルダウンだけは避ける」ことを念頭に置いて仕事をしていました。

いくつかの機能開発をリリースさせていただき、最初の現場は9ヶ月で終え、次の現場へ参画となりました。

2現場目へ

次の現場はIT業界でもかなりのネームバリューのある会社でした。
案件としては地方自治体のホームページ等のUI/UX改善業務。まさか自分がこの案件に入れるとは思っていなかったですが、前職で商店街で働いていたことに興味を持ってくださったようです。

Webの現場はバックグラウンドがさまざまな人がいます。
自分では普通のことだと思っていたことも意外と強みになったりするので、案件が落ち着くタイミングなどでこれまでの自分を棚卸ししてみるのもお勧めです。

扱った技術はフロントエンドを中心に、Google AnalyticsやSearch Console、Looker Studioを使用したデータ分析およびダッシュボード作成、Flutterを使用したネイティブアプリの開発、Studioを使用したサイト作成など多岐にわたりました。

一つ一つの技術を扱った期間は少なかったですが、「これを実現したいときはこれ使うと良さそう」など開発の視野がすごく広がりました。

案件は大きく「1つのプロダクトを作っていくものと(主に自社開発など)」と「様々なプロダクトを作っていくもの(受託案件 / クライアントワークなど)」に分かれます。

2つを並行している会社もありますが、どういった案件が自分に合っているかは実際に経験してみないと分からないものですので、特に希望がなければまずは参画してみて合う合わないを感じるといいと思います。

この案件は後者にあたり、目まぐるしく開発内容が変わることでそのスピード感に時々ついていけるか不安になることもありましたが、チームの方が支えてくださり走り抜けることができました。1年8ヶ月ほど在籍したのち、プロジェクトのクローズとともに現場を離れることになりました。
(案件の終わり方も様々です。)

3現場目へ〜そして退職〜

正直2現場目でやり切った感を感じてしまい、会社自体を退職しようか迷っていましたが、メンターと相談し、「一旦次の現場に入りながら考えてもいいと思うよ」と勧められたので参画しました。(この時点で、地元で働いていた当時の月給より30万円ほど上がっていました。)

案件は求人検索サイトのフロントエンド開発。
ここではスクラム開発体制をとっており、1週間を1スプリントとし、そのサイクルをベースに開発とリリースを繰り返していくものでした。

また、機能の仕様をプロダクトオーナーやデザイナーと一緒になって考えることもできる現場でした。先ほど述べたウォーターフォール体制とはある意味逆の体制です。

この開発体制は自分にとても合っていたように思います。
これはWebの現場だけでなく、地方の小さな会社にも還元できるのではと考えたりもしていました。

大きな会社ほど予算をかけられないため、大きなことを1回やるよりも、小さな単位(MVP)をリリースしながらユーザーのフィードバックを得ながらよりよく改善していくサイクルは、小さな会社ほど合っているのでは?商店街に還元できるのでは?など。

商店街は常連さんや地域の方、店主さん、観光の方が行き交うため、フィードバックを直接もらえる環境は整っています。Webも合わせれば、定量・定性データがバランスよく得られそうなど妄想を膨らませていました。
(まちづくり関連の話はまた追々…)

この現場に参画したのが2023年7月。
年明けの1月いっぱいを持って、現場と合わせて約4年勤めた会社を退職しようと決断しました。20代最後の年でした。

まとめ

以上が、私が地元の商店街から東京でエンジニアとして働き退職するまでの記録です。未経験からエンジニアとして複数の現場を経験し、技術はもちろんですが、

  • チームで働く上でのコミュニケーション

  • 問題解決のためのリサーチ力

  • 現場それぞれの技術や環境に早く適応する能力

といった基本的だけど大事なビジネススキルも身につけることができました。私自身、各現場での実体験が小さな自信へと繋がっています。これからは少しずつ東京での経験を地元へ還元していけたらと活動しようと思っています。
もし今キャリアに迷っている方や地方で働く方がいれば、この記事が少しでも背中を押すきっかけになれば幸いです。

追記

ここまで拙い文章を読んでいただきありがとうございます。これから定期的にIT業界のこと、前職で携わったまちづくりのことなどを更新していく予定ですので、よければフォローしてくださると嬉しいです。


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