「不要不急の学び」のススメ
お茶を習っています。
最近お稽古できていないのですが、久しぶりに道具を出してお茶を立ててみたりました。
やっぱりいいですね。
茶道には直接的なこと以外にもいろいろと気付きをもらっています。
こうした仕事とは関係のないことを学ぶのも良いのでは、というメモ。
1、最近、リカレント教育という言葉をよく聞きます。
今日の日経新聞1面も「再教育でデジタル人材に」というものでした。
欧米ではデジタル人材を育てるリカレント教育(再教育)への公的支援が広がっているが、日本は再教育で欧米に遅れを取っているので喫緊の課題だ、という内容です。
背景には感染症で雇用不安が高まっていることに対応してデジタル分野への雇用シフトを狙った各国の対応があります。
2、実利を求める以外の「不要不急の学び」もいい。
記事にあるような、こうした「やらないと新時代に職がない」とか、「今の職場で上に行くためにはこのスキルが必要だ」という文脈での学びも必要でしょう。
一方で、追い込まれて、あるいは、必要に差し迫っていない状況、つまり普段から、なんらか学ぶ、ということはあっていいのではないかと考えていますし、私個人はその必要性を実感しています。
お茶を習い始めたのは、40歳を前に、何も趣味がないなぁ、と思ってのことです。ほんとそんな理由です。大した決心もなく、初心者のための講座に申し込みました。
週1回、半年のコースでした。
いやぁ、仕事では偉そうな顔していましたが、全く始めてのことをやるというのは本当に戸惑いの連続で、でも新しい世界のことを少しずつ知っていく、というのはしばらくなかった経験で夢中になりました。
そもそも、お茶の世界では、40前後は若手。しかも男性が少ないのでめちゃくちゃ構って(チヤホヤして)もらえました。
本当に楽しかったです。
3、そのうち勝手に気づきが得られる。
仕事に結びつけるのはヤボだな、と思いつつも、
「稽古とは一より習い十を知り、十よりかえるもとのその一」
という言葉に触れたり、
稽古は毎回違うものをやるのですが、初めは「しっかり前回の復讐させてほしー」と思っていたのですが、ある時先生から「今は覚えなくていいし分からなくなって当然。全体をやってみたら分かることがあるから」と言われたり。
そうした、ふとしたやりとりが、「仕事もそうだよな」と思ったり、仕事で悩んでいたことがいきなり解決できる案が浮かぶことにつながったり、することがありました。
もちろんお稽古中は夢中でやっていますからそれどころではありません。
帰り道や、仕事中に「あっ」と気づく、閃く、ということが多かったです。
4、仕事ができる人ほどいくつも人生を歩んでいる。
私の周りだけになりますが、仕事ができる人というのは、仕事以外にも何かしら夢中になっているものを持っている人が多いように思います。
そういった方はこの半年間を実に有意義に過ごされているように見えます。
通勤時間がなくなったことや、夜の会食がなくなったことで時間ができ、その時間を仕事以外のことに充てているからです。
私はお茶のお稽古がお休みになったこともあって、できた時間を持て余し、やばいと思ってnoteをはじめました。
自分の投稿は2ヶ月経ってもよちよちですが、他の方の投稿を見ていると、皆さん本当に様々な興味や知識を持ち、勉強し、発信して、すごいなぁ、と思っています。
おそらくお仕事や他のことも充実しているだろうと。
5、再教育、「する」のか、「される」のか。
こうした素地があれば、いざ「迫られて」勉強しよう、となった時にも前向きに、積極的に動けるでしょうし、頭もついていけるでしょう。
そもそも、課題意識を持ってもう学んでいるかもしれません。
一方で、普段からそうしたことをしていない場合、いざ「迫られて」も、慣性の力が強いので、なかなか頭を切り替えることができずに、受け身になる人も出てくるでしょう。受け身になる、やらされている、となると学びの効果は半減するでしょうから、望む成果は得られないでしょう。
だからこそ、普段から、つまり不要不急のうちから、なんらかの学びをしている人の方が新しい環境にも早く順応できるはずです。
6、まとめ
本当は祝日なので、私の趣味の話を書こうと思ってお茶の話を書き始めたのですが、なんかビジネスっぽい話になってしまいました。。。
最後に、私が好きなお茶の考え方を一つご紹介して終わりたいと思います。
お茶は習っていくと、次の段階に進む、という節目みたいなものがいくつかあります(初級から中級、中級から上級に進むイメージですね)。
普通、「ここまでのことは学び終えた」という「免許皆伝」みたいなものをもらって次に行くイメージだと思います。
お茶は違うのです。
「許状」というものを頂けます(この投稿の表紙?です)。
つまり「次のお手前を習ってもいいよ」という「お許し」をいただくわけです。
終わりを頂くのではなく、始まりを頂く。
私はこの考え方が大好きです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
狭い話でしたがどこかお役に立つことがあれば嬉しいです。