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ただそこにあるものを描く

先日家族で川遊びをした。
私は専ら石拾いに徹してせっせと石を選んでいた。
前日の雨で少し水多めの川、ゴロゴロ転がる石ころは、ここが増水すれば深く浸水する場所だということがわかる。

どんなに浅い川でも水難事故は起こるので気をつけつつ遊ぶ。他の親子連れもそれぞれ、小魚やカニのハンティングに忙しそうだ。

たくさん石を拾ってホクホクで帰る私。
石だけでなく、陶器の破片や金属片なんかも、私にとってはお宝である。

今まではなんとなく拾って嬉しいだけだったけど、「描く」に夢中の私はもちろん帰ってスケッチをする。

一日一個づつ、石のスケッチをする。
楽しい。
描くことがこんなに楽しいなんて。
なんで今まで描かなかったんだろうって思った。空白の20年を埋めるように、描きたい気持ちがいっぱい。

学生の頃、人からの評価が全てだった。
自分が何を好きなのかもわからなかったし、描きたいものもわからなかった。

ただただ大きな紙の前で迷子になっていた。
この大きな紙をどうやって埋めようか。なにを描けば良いのかさっぱりだった。

私が好きだったのは、絵の具それ自体と、日本画の道具や紙、そのものを好きだったんだな。

でも今はこの小さなスケッチブックに小さな石を描いてる。

20年の時を超えて、なんか呪いがとけた。
20年かかって、自分の好きなものがわかった。
あのときできなかったことが、できるようになった。

写真を撮り始めてから、写真を印刷したら手帳に貼りたくなって、そしたら文字も書きたくなって、文章も書きたくなって、挿絵用にスケッチブックを買ってみたら絵を描くのが楽しくなって…。芋蔓式に全部繋がって、自分がピタッとはまった。

写真で撮っても絵にならない(技術力…)ものは、私の場合はスケッチしてしまった方が早い。写真は写真。写真にしかできない世界があって、絵には絵の世界があって。
両方いいとこどりできるのはいいな〜。

日本画の勉強をした後、絵の世界では生きていけねぇ、食っていけないどころか、心を喰われて死ぬ…と思って、工芸の方に転向した。

工芸の世界は、絵を描くことに比べたらずっとずっと気楽だった。(簡単という意味ではない)
技術という柱があって、機織りは経糸と緯糸という制約がある。
出来上がったものは生活のなかで使うことができる。

ツルツルの壁を登るようだった絵の世界から、とっかかりのたくさんあるウォールクライミングくらい、登りやすくなった気持ちだった。

そちらはそちらで夢中になって、今に至る。

20年。
20年寝かせてた、描くこと。

自分のために、私は描くよ。

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