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改名しました!!!(noteを書く理由の話)

ハチが死にかけてるときに生きてる意味ってなんなんだ?みたいな究極すぎて陳腐なことをひたすらぐるぐる考えて、人が生まれて死ぬのは太陽が昇って落ちるのと同じで、花が咲いては枯れるのと同じで、マッチの火を繋ぎつづける遊びと同じで、それはただただただただ繰り返される事象であって、そこに意味はなく、かろうじて本質を見出すとしたらそれは「繰り返されること」であって、何億年前の祖先から俺まで生まれて死ぬという事象が繰り返されてきたことこそが命の本質なのかなぁとか思って、それはそれで多分一個の正しい結論なんだと思うけどそれとは別に何か意味を見出せるとしたら意味は俺の心の中に、俺の主観の中にこそあって、俺が「俺が生きる意味はこう!」って決めることだけが唯一、「生と死が繰り返されることが本質」っていう尊くもあり虚しくもあるどうしようもなく正しい結論に抗えるものなんだと思って、自分の生きる意味は自分が決めたらいいんだっていうありふれた素晴らしい答えに辿り着くことで俺は生きることを再開できて、そのうえで改めて「俺がハチがあなたが誰かが生きていることの本質は生と死が繰り返されること」「生きる意味は心の中にだけある」っていう二つの答えと向き合ったときに、俺が生きたことが、ハチが生きたことが、誰かの心の中に残ってほしい、残り続けてほしいって思うようになって、大昔からはるか未来までのあらゆる命をネットワークみたいに見れたとしたらそのネットワークの一つの結節点である俺とハチの生が、凪いだプールに投げた石が波紋を生むみたいにネットワーク上の他の生をちょっとでも揺さぶることができたら、そして僕の文章を読んだあなたが書いた文章が誰かの心を揺さぶってその誰かがまた文章を書いて、みたいに俺の生が、ハチの魂が、なんらかの形で何度も何度も繰り返されていったら、(そう!俺はハチの魂を繰り返したいんだ!だって、繰り返すだけだから、命は。)いいなと思って、だから俺は親戚に死んだじいちゃんがどんな人だったかもめちゃくちゃ聞いたし(じいちゃんの魂が俺の心で繰り返される!)、あなたの話もなるべく本気で受け止めたい(あなたの魂を俺の心で繰り返す!)、これでやっと改名の話ができるんだけど、そんな理由で俺はどうしても俺が書いた文章を誰かに読んで欲しかった(くどいようだけど何度でも言う、俺の魂を、ハチの魂を、繰り返すためにだ)、だから、ちょっとでも目に留まるように、気を引けるように、名前に「京大生」って入れたし、記事の題名にセックスとか入れたりした、キモいのも分かるけどね、読んで欲しかったから。



でももうおかげさまで僕には150人近くのフォロワーがいます。

あなたが、僕の文章を読んでくれます。

だから安心できました。

なので、改名しました!!!



ギリギリ京大生改め、解体です。これからもどうぞよろしくお願いします。

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