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【精神科に行ってみた話】物足りないままで
耐えられない、というわけではなかった。
でも、慢性的に僕を侵しつづけている、制御できない波に足を取られるような感覚から、もう抜け出してしまいたかった。
だから精神科に行った。
躁鬱のような症状に悩まされるようになったのは大学に入った頃からだろうか。
大学生になると、おのずと無数の取捨選択を迫られる。どのサークルに入るか。どの授業を受けるか。誰と時間を過ごすか。何をして遊ぶか。バイトは?授業は?恋人は?趣味は?どーすんの?何になるの?何がしたいの??
そして、身の程にそぐわない自由を背負うことの苦しさを知る。高校まで小さな井の中で勉強と部活しかしてこなかった僕ももちろん例外ではなく、入学当初はギャン泣きする迷子の幼稚園児みたく混乱し、サークルに6個も入ってしまったりした。
そこで何かが狂ってしまい、脳と心と体の歯車がおかしなことになってしまったのだろう。あるいは、もともと僕のなかにあった異変が自由の重圧によって露呈したのかもしれない。
いずれにせよ、ずっとうっすらしんどかった。ここで症状を詳しく書く気にはならない。とりあえずしんどかったのだ。
別に耐えられない、という訳ではなかった。単位を取って、友達と遊んで、サークルとバイトを頑張って、恋人もできて、普通に充実した大学生活ではあったはず。
でも、自分の生活とは関係なくなぜか過度に元気になったり、急に何もしたくなくなったりして、そんな自分の脳?体?に振り回され、理想の6割ぐらいの日々を生きるのはもう嫌だと思った。俺はもっとやれるはずなのに!!ってずっともどかしかった。普通に人に迷惑かけることもあったし。
とにかくもううんざりだった。
年末に友達が勧めてくれた精神科に電話したら二週間先まで予約が埋まってると言われてびっくりした。こっちはクリスマスを精神治療に費やす覚悟を決めてたのに!!
そんなわけで年明けの1月10日に予約を取った。この時点でかなり晴れ晴れとした気分だった気がする。
年末年始はかなり元気がなかった。11月からずっと忙しかった反動だと思う。
せっかく帰省したのにずっと二階で寝てて、親と買い物に行ってもヘッドホンつけっぱで会話はほぼなかった。母が祖母に僕のことを「愛想悪いわ~」と言っているのが聞こえていて、情けないような申し訳ないような、でもどうしようもないんだよ!ってやるせないような、ものすごく悲しい気持ちになった。
大みそかはアルピーの年越し特番のラジオを聴いてたんだけど、radikoのタイムラグのせいで気づいたら2025年になってて拍子抜けだった。
全部うまくいってなかった。
そんな緩い地獄をくぐりぬけて京都に戻り、1月10日、精神科に行った。
自動ドアが開くと待合室のソファには誰もおらず、患者は僕一人だった。診察室も一つしかないっぽかったから、丁寧に診察してくれるのだと思って少し安心した。
5分も待たないうちに名前が呼ばれた。
診察が始まってまずびっくりしたのは「躁鬱か否か」をジャッジする時間がほぼなかったこと。あえて躁鬱という言葉を避けて症状を説明していたら先生の方から「躁鬱みたいな感じね?」と尋ねられて、戸惑いながらそうだというと、以降は「躁鬱である」という前提のもとで話が進んだ。
呆気なくて驚いたけど、あとから同じ病院で診察を受けた友達と話したりして、病気か否かの診断は「本人が困っているか否か」で決めているのだとの結論に至った。友達は「ADHDっぽいけど環境選びがうまいからとくに問題なし」ということで帰されたらしい。
一般にイメージする「診断」とは全然違うけど、精神疾患を扱ううえでは合理的なやり方だと思う。骨が折れてたら明らかに異常で治療の必要があるけど、心には正常/異常の線引きなんてないもんね。本人が問題なく暮らせているならば治療の必要はないしその逆もしかりだ。
それからしばらく症状のことを聞かれた。
物に当たることはあるかと尋ねられて「はい、まあ、その、タオルぐらいなら、投げることはありま、あ、でも、投げても大丈夫だと思ったうえで、投げてて、だから、あの、判断は、いや、はい、はい、、」と情けない受け答えをしてしまった。いやあ情けない。
そしてお待ちかね、お薬処方タイム。とりあえず一カ月様子を見るということで、気分を落ち着かせる薬(原文ママ)を1日2錠分と、躁で眠れないとき用の睡眠薬5錠(これがかなり助かった!)を処方してもらった。
それと一緒に、躁鬱には抗うつ剤が効かなくて、薬での治療には限界があるという話をしてくれた。躁鬱の人は無意識のうちに自分から躁になろうとする傾向があって、それを自分で抑制する必要があるのだと言われた。
目から鱗だった。僕は今まで自分の意思とは関係なくブレーキが利かなくなる状態が躁だと思っていた。だから、どうせならとハンドルを右に左にぶん回して、その快感に、スピードと振動に酔っていた。明日にはいくらアクセルを踏んだって心がびくともしなくなることをどこかで予感しながら。その一筋の絶望を背筋にひんやりと感じながら。ぼろぼろになりながら。
だから、躁を自分で抑制できる/する必要があるというのはほんとに天地ひっくり返り案件だった。
こうして上下感覚を失った僕を前に、先生は続ける。
「そして、躁を抑えることで躁鬱の波は鎮まり、真ん中あたりをキープして、安定した普通の状態でいられるわけです。」
手で波を作りながら説明してくれる。
「ただ、この安定した普通の状態というのは、」
手を水平にすーっと動かす。
「躁鬱の人にとっては、物足りないものだと思います。それでも、なんとか気持ちを抑えて欲しいんです。」
明確に「救われた」と感じた。
昔からよく夜更かしをしてしまう。大学の授業とバイトを終え、ご飯も風呂も歯磨きも済ましたのに、何故かまだ眠る気になれない夜がある。まだ「今日」を終わらせたくなくて、少しでも「今日」を引き延ばしたくて、何かに復讐するみたいに夜更かしをするのだ。
躁になることは夜更かしとよく似ていると思う。躁になればそのあと反動で鬱が来るし、夜更かしをすれば次の日は寝不足になる。どちらも身を滅ぼす。そうと知りながら僕は躁になり、夜更かしをし、一時的な快楽に浸る。
いやむしろ、自分の身を滅ぼすこと自体が快楽であり目的なのかもしれない。規則正しい生活習慣ですべきこととしたいことをする普通に楽しいそこそこの日々が物足りなくて、僕は夜更かしをするのだ。そんな日々が昨日も今日も明日も淡々と続いていくサイクルをぶっ壊したくて、僕は躁になるのだ。
そこそこの日々の「物足りなさ」に、僕は復讐しているのだ。
この「物足りなさ」を、しかし先生は肯定した。「安定した普通の状態」の物足りなさを感じながら物足りないままで生きていけばいいのだと、そうすべきなのだと言った。
このことは僕にとって、明確に人生が変わるレベルの救いだった。生まれて初めて、物足りなくていいんだと思えた。
充実しているはずなのになぜかしっくり来ないあの感じ。でも足掻けば足掻くほど自分が壊れ、理想はどんどん遠ざかっていく。そんな思いはもうしなくていいのだ。
たしかな光が見えた。これからは、そこそこ楽しくてちょっと物足りない日々をこつこつとしたたかに生きていこうと思えた。それこそが理想の日々なのだから。同時に、これまでのいくつもの憂鬱な帰り道、無数の眠れない夜をやっと許してあげられるような気もした。
もう、大丈夫な気がした。
再び天地がひっくり返り、上下感覚と視界が元に戻る。元に戻ったけれども、視界はさっきまでよりはるかに澄み切っている。次回の日程を決めたあと、挨拶をして病院を出る。処方せんを持って薬局へ行くと混雑していて、20分後に薬を取りにくるよう告げられる。どうやって時間を潰そうか。少しお腹が空いたからおにぎりを買おう。河川敷で座って食べよう。薬局を出る。ローソンへ向かう。一歩ずつ、一歩ずつ向かう。体がいつもより軽く感じるのは、血液検査で血を抜かれたせいではないはずだ。
あとがき
それから一ヶ月と少し経ちました。僕はめちゃくちゃ元気です。0と100を行き来する日々から、ずっと真ん中の50をキープするようになったんですけど、そうすると心身が明らかに元気になって、この「真ん中」がちょっとずつ上昇していくんですよ。だから今は65〜70あたりに真ん中があって、そこでずっとキープしているような感覚です。かなり調子いい。
どれくらい調子いいかをみなさんにお伝え&自分で確認するために、病院行ってからの一ヶ月ちょっとで僕がしたことを振り返ってみましょう。
イベント
・高校の同窓会
・成人式
・MONO NO AWAREのライブ@味園ユニバース
・中学時代の友達3人と飲み
・期末テスト・レポート
・バイト先の人たちとご飯、カラオケ
・バイトの送別会でご飯、カラオケ
・先輩に呼んでもらったライブで漫才×2
・サークルのライブで漫才
・大学の友達と飲み、カラオケ
・中学時代の友達3人と再びご飯
読んだ&観た
・生殖記(朝井リョウ)
・重力ピエロ(伊坂幸太郎)
・推し、燃ゆ(宇佐見りん)
・堕落論(坂口安吾)
・音楽(岡野大嗣)
・トントングラム(伊舎堂仁)
・すごい短歌部(木下龍也)
・パルプフィクション
・ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(序と破も断片的に見返した)
・敵
・ぼくのお日さま
・ホットスポットも毎週見てる
えらい
・テスト期間を過去一のゆとりを持って乗り切り、おそらくフル単
・僕主催の読書会を春休みに入ってから3時間×3日連続で行い、『存在と時間』の序論を遂に読み切った
・院進のために語学をガチる覚悟を決め、6月のドイツ語検定3級取得を目指し勉強し始めた
・ハンガーラック、座椅子、加湿器を購入(通院をきっかけに「生活と健康にお金をかけて最優先する」という意識がかなり強まった!)
・部屋を模様替えし、清潔度と便利度がかなりUP
・しめじ、まいたけ、玉ねぎ入りの和風パスタやカルボナーラを作るように(とても美味しい)
・家計簿をつけ始めた
・カネコアヤノのライブのチケットGET!
・踊ってとGEZANのツーマンのチケットGET!
他にも、、、
・短歌を6首ぐらい作れた
・漫才のくだりもハイペースで思いついた
・なによりシンプルにずっと気分がいい
みたいな感じ。かなり好調!いままでとは明らかにものが違う!
じゃあ僕が苦しみもがいてきた今までの時間はなんだったんだよって言いたくなりますが、それはそれで別に良かったようにも思います。あの地獄のなかで僕は僕と向き合い、世界と向き合い、いろんなものを得たと思います。優しくなれたと思います。
それに躁じゃなきゃできなかったこと、言えなかったこと、思いつけなかったこともいっぱいあって、悪いことばかりじゃないです。
でも、もうその時期は終わり。これからは本当にしたたかに、やりたいことは全部やります。ちょっと寂しい夜もすぐに寝て、寝れなそうだったら睡眠薬飲んで、次の日早起きして目玉焼き作っちゃいます。と言いながらここ2日はnoteを書くのと短歌作るのとで夜更かししちゃってるんですけど。。
まあそれもいいでしょう、要はバランスです。夜更かしも躁も一概に悪いものではありません。オールのあとの朝日も、躁のときの世界も、本当に美しい光を放って僕を祝福してくれる。あれを一切手放すなんて僕にはできない。でもあれがないそこそこの日々、物足りない毎日も、それはそれで掛け値なしに正しいのだと抱きしめてやれる強さを持っていたいです。
よく考えれば精神分析の分野においても、欠如こそが一次的なものだとされています。ラカンによれば人間は象徴界に参入した時点で自由を剥奪され、その欠如の埋め合わせを生涯欲望し続けるのだそうです。僕の物足りなさは生きている以上当然のものであり、それゆえに決して消えることはないのです。
ゴールが見えないままだらだらと書いてしまいました。あとがきで喋りすぎですね、もう終わりにしましょう。久しぶりに長めの記事が書けました。最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもぜひよろしくお願いします。おわり。