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躁鬱の接続・切断論(2週間寝込んだ反省)

ちょっと躁鬱の話をしようと思います。

とは言っても僕は病院にいって躁鬱(ちゃんとした病名知らない)だと診断されたわけではありません。でも、自分の意思を超えて、めっちゃ元気な時があったり何にも心が動かない日があったりするので、そんな僕なりの、かっこ付きの「躁鬱」の話です。

今、千葉雅也の『動きすぎてはいけない』っていう本を読んでます。ドゥルーズという20世紀の哲学者についての本なんですけど、「接続と切断」というのが中心的なテーマとして扱われています。

この本を読んでて思うんですけど、僕の躁と鬱の感覚って、接続と切断という言葉を使うと割としっくりくるんですよね。

躁状態のときは、頭の中であらゆるものが接続されていく。自分でそれを止めることは出来ず、というかそもそも止める気が起こらず、地に足つかないままひたすらに加速していく。ぽんぽんぽんぽん、新しいことが次から次へと頭に浮かぶ。面白いことも思いつく。しょうもないことも思いつく。どっちでもいい。なんでもいい。ただただ、この加速こそが、この接続こそが、強烈な快なのである。そんな感じ。接続過多。ビュンビュンッ!

鬱のときは接続が途切れていく。全部どうでも良くなる。何も好きじゃないし嫌いでもない。どうでもいい。俺には関係ない。大好きなお笑いも音楽も、心が動かない。繋がらない。どんどん切断されていく。疎外感。特定の何かでなく、漠然とこの世界からの、生きることからの、疎外感。この世界のネットワークから俺だけ外れてる感じ。でも別に体は動くから自転車をこぐ。授業を受ける。飯を食う。バイトをする。寝る。何も感じない。起きる。何も感じない。食べる。寝る。起きる。そうしてたら自然と回復していく。接続されていく。心が動く。楽しいと思う。

そんなのの繰り返しです。こう書いたらすごくしんどそうだけど、この波に揺られながら、揺られるのを楽しんだりもしながら、普通に幸せに生きています。多分体質的な問題だからどうにもならないしね。

でも、今回さすがに痛い思いをしました。ゴールデンウィークめちゃくちゃ躁状態で、はしゃいでたら、その後2週間寝込みました。死ぬかと思った。

躁のときのツイートたちです。元気すぎ‼️


さすがに反省したので、ちょっと色々気をつけるようにしました。波はあるけど、なるべくそれが大きくなりすぎないように努力はできる。経済と同じです。

いちばん大きいのは、YouTubeとTwitterとInstagramをスマホから消しました。パソコンでのみ触れるという状態。あんまり触らなくなったけどね。
SNSって、躁とほんとに相性がいいんですよ。莫大な情報量が目に飛び込んでくるでしょ?接続過多の躁状態のときにSNS触ると、ほんとに止まんなくなるんですよ。その時はめっちゃ楽しいというか気持ちいいんですけど、あとからものすごい落ち込みが来る。

気づいていても、止められない💦


だから、SNSを遠ざけるようにしました。このおかげで、最近はだいぶ安定した生活が送れてるような気がします。

自分の弱さをちゃんとわかってあげたうえで、なんとかうまくやっていきたいもんですね。読んでくれてありがとうございました!




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