恋人は冷たい2
**3**
海輝は繁華街にある天満《テンマ》というバーで働いている。
普段はウェイターとして、時には手品師として客をもてなす。
酒を運ぶついでにコースターを消し、天使のようなルックスでウインクを飛ばせば、たちまち女性客から黄色い嬌声が上がる。
海輝は普段通りに振る舞うよう努めた。
プレゼントを受け取るときはちょっと照れた顔をして礼を言い、店外デートのお誘いは丁重にお断りし、「昨日(定休日)は何をしていたの?」と聞かれれば「キミのことを考えてたよ」と軽口を叩く。
休憩時間に入ると、バーテンダーがコーラの缶を掲げた。
「お疲れ。飲めよ」
「ありがと」
海輝が手をかざすと缶はふわりと浮かび上がり、彼の手の中に納まった。
財音シティではSNP(超能力)のユーザーは珍しくない。
サイコジェネレーターと呼ばれる特殊なチップを脳に埋め込むことで超常的な力が使えるようになるのだ。
本来は身体障害者の補助用だが、闇医者に金を積むことでコピー品を違法インプラントできる。
(*SNP=SuperNatural Power)
休憩所でコーラを飲みながら、達真が初めて天満に来たときのことを思い出した。
その日は別の招かざる先客があった。
用心棒代の要求を断り続ける店長に地元ヤクザ・兜《カブト》組が痺れを切らし、チンピラを数人向かわせていたのだ。
ふらりと店に入ってきた達真は彼らをあっという間に叩き出した。
唖然としている店員たちの前で悠然と髪を撫で上げ、椅子を起こすと、驚くほど長い足を組んでテーブルについた。
海輝より10は年上だろうか。
大暴れしたあとなのに汗もかかず、スーツも髪型もほとんど乱れていない。
彼が煙草を咥えると、海輝がその煙草の先端に人差し指を押し当てた。
それだけでシュワッと音を立てて火がついた。
SNPだ。
達真は取り出しかけたライターを懐に戻し、微笑んだ。
「前から気になっていてね。いい店だ」
その瞬間、これまで普通に女と付き合い普通に女とセックスしていたはずの海輝は、天啓めいたものを受け取った。
(何もかも今日この瞬間、この人と会うためだったんだ)
ある日、海輝が仕事を終えて店を出ると、裏口で彼が待っていた。
車のボンネットに腰かけた彼は、煙草を手に苦笑した。
「目をかけてた部下に辞められちまった。慰めてくれよ」
車はホテルに直行した。
それ以来、達真は気まぐれに海輝のマンションを訪れては彼を抱き、手料理を食べ、控えめな愛の言葉を囁き、海輝が拒否するにも関わらず封筒いっぱいの金を置いていった。
何の仕事をしているかは言わなかったし、こちらから聞いたこともない。
休憩所を通りかかった店長の声で我に返った。
「海輝。達真さん見なかったか?」
「いえ……どうかしたんですか?」
「あの人の部下から連絡があったんだよ。連絡がつかないって。
お前なんか知らないか?」
海輝はいたって平静に答えた。
「いや、ちょっとわからないですね」
「そうか。ならいいんだ」
**4**
夜2時過ぎ、海輝は仕事を終えて帰宅した。
達真は冷蔵庫の前に屈み込んでいた。
食料をあらかた食い荒らしたあとで、脱臭剤に歯型をつけている真っ最中だった。
「そんなもの食べちゃダメでしょ!」
「あー」
達真は意外にも言うことを聞いた。
脱臭剤を口から出して床に落とす。
粥を作り、ふたりで食べた。
達真はスプーンを持とうとせず、手ですくって食べてしまう。
ふきんで口元を拭ってやりながら、海輝は笑みをこぼした。
「赤ちゃんみたいだね」
「あー」
クレイジーな状況にも関わらず海輝は幸福を感じていた。
以前の達真は来る日も滞在日数もまちまちで、来ない日が長引くと寂しくて仕方がなかった。
食事を終えた海輝は椅子を立ち、達真の後ろに立って頭を抱いた。
ひんやりと冷たい体には煙草の臭いがわずかに残っていた。
「もうどこにも行かないよね」
「あー」
「ずっとここにいてね、達真さん。ずっとだよ」
「あー……」
ほんの5000兆円でいいんです。