あなた以外の誰のものにもならない5

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**10**
 

 チリン、チリン。

 火狼は鎖の環がぶつかりあう音で眼が覚めた。
両手に枷がはめられ、鎖で壁と繋がれている。

 両隣では同じようにつながれた間知、雀がうめき声を上げている。
小声で呼びかけるとふたりは目を覚ました。
 

「う……」

「ああ……夢じゃなかったか。クソ」
 

 元は会議室だろうか? 広い部屋だ。

 向こうに透明なゴムのカーテンでさえぎられた小部屋があった。
隙間からちらちらと白衣姿の疾狗が見えた。
手術台の上に屈み込み、何かの作業に没頭している。

 間知が小部屋の反対に顎をしゃくる。
絨毯の上にベッドが置かれ、その周囲に本棚やキャビネットがあり、寝室のようになっていた。
 

「あそこで寝てんのは誰だ? 犬野郎の所有者か……?」

 ベッド上に身を横たえた人物は、生命維持装置らしい機械から伸びたコードや管と繋がっていた。

 さらに奥には増設を繰り返した情報機器、妨害電波の発生装置、医療用の大型冷蔵庫などが設置されている。
冷蔵庫のガラス戸越しに、保存用の培養液パックに入った臓器がいくつも見えた。

 作業を終えた疾狗がストレッチャーを押して出てきた。
そこに固定された傭兵リーダーは腹を切り開かれ、内臓をすっかり抜き取られていた。

 疾狗は死体をゴミ袋に詰め込むと、臓器のパッケージングに取り掛かった。

 間知がひそひそ声で続ける。
 

「犬野郎は〝逃亡隷層の避難所〟って噂をネットで流して獲物をおびき寄せてたんじゃないか」

「内臓……臓器を調達するためにか?!」

「だろうな」
 

 火狼ははっとしてベッドの人物を見た。
 

「じゃ、あれは……」
 

 作業を済ませた疾狗がこちらにやってきた。
雀を抱き上げ、手枷を外すと、ストレッチャーに固定しにかかる。
 

「てめえ、そいつに触るんじゃねー!」

 火狼は狂ったように暴れたが、鎖はびくともしない。
装備はすべて取り上げられ、離れた場所にあるテーブルに積み上げられている。

 疾狗は皮ベルトで雀を固定すると、手術室へ押していった。
彼に麻酔ガスを吸わせようとしたが、雀はここに来て死に物狂いの力を発揮し、身をよじって暴れた。

 火狼は焦れるのをこらえ、考えを巡らせた。

(オレの力じゃ鎖は外せない……くそ、やるしかねえ!)
 

 間知に早口に計画を話した。
相手は呆然として聞き返した。
 

「じょ……冗談だよな?」

「女房んとこに生きて帰んだろ?
次に解剖されんのはオレかアンタなんだぞ」

「イカレてるぞ、お前」
 

 火狼は赤ん坊のように自分の右の親指を深く咥え込むと、間知に頷いた。
前歯の噛み合わせが付け根の関節に当たるようにする。

 間知も覚悟を決めた。
 

「悲鳴上げんじゃねえぞ」
 

 体を起こし、火狼の顎を膝で思い切り蹴り上げた。
 

「~~~ッ!!」
 

 火狼は苦痛に涙をこぼしながら、ちぎれた自分の親指を吐き出した。
それがなくなったぶんだけ細くなった右手が、手枷からするりと抜ける。
 

「次だ。左」
 

 同じ要領で左の親指を切断し、そちらの手も抜いた。
疾狗は作業に没頭していて気付かない。

 火狼は鼻血を垂らしながらテーブルに向かい、拳銃を手で挟むように拾った。
戻って間知の手に握らせる。

 やっとで雀を眠らせ、体にメスの切っ先を入れた瞬間、疾狗は異変を察して振り返った。
すべてを悟って絶叫する。
 

「グアアア!!」
 

 間知はベッドに銃口を向けて引き金を引いた。
疾狗はぎょっとし、とっさに身を挺してそれを守る。
 

 バン! バン! バン!
 

 一発は疾狗の胴体をかすめ、二発が生命維持装置に当たった。
装置が火花を噴いてエラー音を放つ。

 隷層は所有者が死ぬと主従関係が消え、フリー状態となる。
そして次に支配電波を浴びせたルーラーのものになるのだ。

 間知は弾切れになった銃を捨て、すばやくこめかみに人差し指を押し当てた。

 火狼は祈った。
 

(頼む、死んでくれ! 間に合ってくれ……!!)
 

**11**
 

 疾狗は呆然とベッドによりかかった。

 サイドテーブルに手がぶつかり、花瓶を倒す。
薄汚れた造花がベッドの上に舞い散った。

 骨と皮ばかりにやせ細った兄の胸に頭を置く。

 スプリンクラーの雨から逃げた小屋で、兄弟の一線を越えた日。
兄の愛を全身で受け取ったあと、同じようにその胸に頭を預け、心音を聞いていた。

 再会してから数ヵ月後、輪違製薬の薬に致命的な副作用があることが判明した。
本社はそのすべての責任をこの研究所に押し付け、切り捨てた。

 すべてを失った兄弟は、事件の遺族が放った殺し屋に追われることになった。

 逃げて、逃げて、逃げ続けて、その道中、兄は心臓を病んだ。
疾狗は彼を抱えてなおも逃げ、そして記憶の中にあったこの研究所にたどりついた。
 

「アアアアアアアア!!」
 

 生命維持装置が機能停止した。

 疾狗は兄をベッドから抱き上げ走り出した。
彼の体と繋がっていた装置のチューブがぶちぶちと音を立てて千切れる。

 心音が小さくなっていく。

 あのときと同じように走り続け、ドーム型の薬草園に飛び込んだ。
天井のガラスはほとんどが砕け落ち、薬草の花は灰色に枯れている。

 降りしきる酸性雨を浴びながら、疾狗は泣きながら走り続けた。
中央まで来たとき、心音が消え、兄はただのがらんどうになった。

 その場にひざまずき、彼を下ろす。
 

「ぼくはあなた以外の誰のものにもならない」
 

 疾狗は自分の腹に両肘を当て、眼を閉じた。
まぶたには裏にはあの日のドーム型薬草園があり、兄弟は雨に濡れた花の香りに包まれていた。
 

「あなた以外の、誰のものにも……」
 

 骨の刃が突き出し、自らの胴体を貫いた。

**12**
 

 火狼は雀に肩を貸してドームに入った。

 強化手術によって得た治癒力により、すでに親指の傷は塞がっている。
間もなく新しい指が生えてくるだろう。

 先に入っていた間知が振り返り、銃を下ろした。
 

「死んだよ」
 

 火狼は雀を下ろし、折り重なって死んでいる兄弟のもとへと歩み寄った。
枯れた花が足の下でくしゃりと音を立てた。

 間知が慰めるように言った。
 

「お前が責任を感じることはねえよ。そいつが何してたか知ってるだろ」

「知ってるよ。知ってるけど……」
 

 火狼は泣きそうな顔でひざまずいた。
見開かれたままの疾狗のまぶたを手で下ろしてやる。
 

「こいつ、この人のことが大事だったんだ。すごく、すごく大事だったんだ。
オレはそれを利用した……」
 

**13**
 

 残された疾狗のパソコンには心臓の適合検査をしていた記録があった。

 兄と適合するものを探していたらしい。
彼は人工臓器に拒絶反応を起こす体質だったようだ。

 また、市井の闇医者と取引していた。
不要な臓器を売り、医療器具の調達や強化手術の費用に当てていたのだろう。

 狂える番犬、疾狗の内情は今となっては想像するしかない。
だが火狼にとってこの一件は苦い思い出として胸に残ることになった。
 

**14**
 

 夕方前に迎えの装甲バスが来た。

 火狼は携帯端末で〝猟犬使い〟に報告した。
回収できた隷層がひとりだと知った彼女は不満げだったが、大量の臓器パックのこと、そして傭兵のほとんどに報酬を払う必要がなくなったことを告げると機嫌を直した。
 

「さばくのがちょっと面倒だけど……まあ、いいわ。お疲れ様」
 

 間知は報酬に雀を要求し、彼女はそれを許可した。
町外れで別れ際、火狼は彼に聞いた。
 

「雀、売るのか?」

「いや……ウチの女房、子供ができねえ体でな。
コイツを気に入ってくれるといいんだが」
 

 火狼は笑いかけた。
 

「あんたのこと嫌いじゃないぜ。
ルーラーも守銭奴のサイコ野郎ばっかりじゃないんだな」
 

 彼は苦笑いを返した。
 

「そんなふうに思ってたのかよ」

「おっさん、今の仕事向いてないんじゃない?」

「だろうなあ」
 

 間知はため息をついて頭を撫でた。
 

「女房にもいつもそう言われるんだよな……」
 

(終)


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