一昨日、夜中に寝ぼけて背中をぐっと反らしたときに『ビキっ』という音というか感覚というかそんな感じとともにいきなり肩甲骨の間に痛みが走りました。 そこから寝返るのも痛いし、肩を動かすのも痛くなり、『あー、痛めたわ』と思い、何とかセルフで改善させようともがきました(笑) 反らして痛めた感じがしたので背中を丸めてみたり、肩甲骨を背中側に寄せてみたり。 色々格闘したんですが改善せず、その夜はもう諦めて我慢。 翌朝、起きてみてもやっぱり痛い。特定の姿勢になると痛いし、不意に姿勢を
高校を卒業してこのかた人の身体の調整をすることばかりしてきました。 気付けば14年経ってます。 特にこの6年はストレッチ整体という形で道具は使わず、自らの手のみをもって身体のケアにあたっています。 身体をほぐすにあたって関節を動かしたりすることが多く、そんな時によく感じることがあります。 それは身体の不調がある人は意識的にまたは無意識的に『力んでいる』ことが多いという現象。 ここでいう力んでいるというのは『勝手に身体に力が入ってしまう』というイメージでいいです。その
こんにちは。くっすんです。 先日、母校の卒業式がありました。現在では縁あって母校で教育に携わっております。 新型コロナウイルスの影響もあり、卒業式は出席を控えたのですが、学生からの言葉に感動しました。 授業中にも試験に必要な知識だけではなく、施術に対する心構えや人生訓のようなものを自分なりに伝えてきたつもりでした。 そんな大それたものではないですが、、、。 何故、そんなことを伝えてたかというと 施術には単なる知識がある、技術があるだけでは効果が出ないと実感しているからです
こんにちは。くっすんです。 今年初め頃にタイトルの質問を受けて、自分なりの答えをお伝えしたのでそのことを書いておこうと思います。 社会生活を送るうえでバランスって大事よなぁ!という言葉が腑に落ちなかった人からの質問でした。なのでこれから書くことは身体のバランス感覚とは違いますのであしからず。 自分が思うバランス感覚は 【自分の個性・性質を理解し、表出させて尚且つ社会と馴染むようにすること】 です。 そもそもは自分はどういう性質を持っているのかをしっかりと自分と向き合
こんばんは。くっすんです。 不意に無駄ってなんだ?と思い、この記事を書くことにしました。 30代も半ばに差し掛かろうとした今日この頃。今思えば20代の時にもっとこうしとけばよかったんじゃない?とか考えることがあります。 例えば、夜な夜な飲み歩かず、仕事に関する本を読んだり、セミナーに参加したり、今の仕事以外の仕事を経験したりするとか。 しかし、その経験がなければ今の自分が形成されてないという考えを持っています。 20代で飲み歩いたり、ギャンブルしたり、へとへとになるまで遊
仕事仲間、恋人同士、家族、友達など付き合いがある人に対して自分の思いをきちんと伝えられていますか? これを言ったら嫌われる、ハブられるみたいなことを考えていませんか? 実は自分もそうでした。 好きな人に嫌われるんじゃないか。友達のグループから外されるんじゃないかなど。 一番は好きな人にこうじゃないかって伝えられなかったことでした。 自分が我慢すればそれでうまく回る。きっとそうだと思い込もうとしてました。 ただ、それだと自分の限界がきていつか爆発してしまいます。 そし
現在、ストレッチと整体を組み合わせた施術を行い、少しでも多くの方のカラダの悩みの解決に携わっている。 2年ほど前から夢であった、『施術と教育の両立』を行うことができるようになり日々何かに追われるように走り抜けてきた。 そして最近、夢の『核』となる部分を自分の中で再度確認する時期に来たのだと感じる出来事が多々あった。 何のために自分はこの夢を追ってきたのか? この行動を通じて何を成し遂げたいのか? 夢の舞台にやっとたどり着いたなんて感じてしまい、その状態に慣れてきてし
まだ人生の半分も生きて無いですが、自分が経験し学んだことを書いてみます。 よく『人生、山あり谷あり』なんてよく言いますが、ホントにそうだと思います。 生きていれば楽しい時もあれば、辛い時もある。 どっちか片一方だけってことはまず無い。 だから辛い時は必ずある。でも、辛いことからは逃げたい。目を背けたい。 だから何か自分が打ちのめされるようなことがあるとその環境から逃げるんですね。 個人的な意見ですけど、逃げて解決しないんですよ(笑) それは思考が変わってないから。 環
こんばんは。鍼灸マッサージ師の楠本です。 今年度から、新しい挑戦として教育に関わるようになりました。 伝えるというのはなかなか難しい。 それぞれ理解できる部分は違って、例えば聴覚なのか視覚なのか感覚的なのか。 授業でメモを取ってなくても聴覚で理解しているということもあり得る。 ここに気付くまでに凄く時間がかかりました。もしかしたら今もわかってないのかもしれない。 それでも皆に理解してもらうために一生懸命になる。 ただこの一生懸命は難しい。 本人が一生懸命と思ってても