小説 『世に棲む日日』 が好きな訳
この小説は『長州の人間のことを書きたいと思う』という一文で始まリます
私は、まず、この一文で、心を掴まれてしまいました
何が始まるんだろうか?と言う、そのワクワク感で一杯になったこと、その初見の気持ちは今でも覚えています
司馬遼太郎著『世に棲む日日(一)〜(四)』
主人公は、長州人の吉田松陰と高杉晋作。冒頭の一文の通り、この二人とともに、長州藩を中心に、幕末の世を描いています
幕末には、劇的さや、凄まじさ、さらに長州人には圧倒的な人間の熱というものがあって、その熱を余すことなく、二人の主人公を通して、その世、その人、その情勢を、いつも通り冷静な司馬遼太郎の書きっぷりで描いています
吉田松陰は思想家。高杉晋作は現実家
凄まじいと言われた幕末の世の中で、自分の絶対的な思想を作り上げた吉田松陰。自分の望むことや思考がどのようなものなのか、その思想によって鮮明になり、行動を起こした高杉晋作
私は、この小説を、10回以上読んでます。毎回、冒頭の一文には震えるものの、何に惹かれるのだろうか?どこが好きなのだろうか?と問うてみました
それは、著者の言葉や文章のタッチはもちろんのことですが、ある意味、司馬遼太郎の書きっぷりの良さに魅了されてしまっていると言う確固たる前提もあるものの、物語の流れ、都度起こる事件や事象、その背景描写、人となりの描写に、引き込まれていく感覚が好きで、何度も読み返しているように思います
ただ、それ以上にそれ以上に、高杉晋作の行動力に、清々しさを見つけ、惹かれ好きになっているように感じています
自分のやっていることは正しいんだと信じて、自分の視点、思考、判断、要するに、自分をちゃんと持って、自分の中からごく自然に出てくるものを信じて行動する姿にです
その行動の基礎となるものは、松下村塾で学んだ吉田松陰の思想であって、吉田松蔭の思想を信じ、その思想によって自分の視点思考判断の材料が鮮明になったことから、知識としても確たるものになって、そこに、自分がどうしてもやりたいんだと言う気持ちや熱、執念が生まれ重なり、そういう状態になると、物事って実現ができるんだ、出来てしまうんだ、と言う生き様に感銘を受け、惹かれているんだろうと思います
自分軸で答えを出していくと言うスタンス
これは今で言う、アート思考にもつながるようにも思えて、芸術家が、既成概念にとらわれない自由な思考や感情をベースに、自分の中からごく自然に出てくるものだけを信じて作品を作るのと同じように、その自由さ、高杉晋作の場合は、さらに凄まじさがプラスされ、幕末の世の中で一人の人間が一生を賭けて自分を描き続けたところに惹かれ好きになったと感じてます
だからなのでしょうかね、高杉晋作の辞世の句
『面白きこともなき世をおもしろく』
面白くするも面白くしなくするも、自分の考え方一つなんだよと言ってるんでしょね
そんな、自分の中からごく自然に出てくるものだけを信じて作った作品
それでは聞いてください。桃山イチ「一本の穏やかな坂道」
(アルバム 輝くものは満ちるものかな 内)
最後まで読んで頂きありがとうございました。
心のありようを大切に。