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感想を禁止してみない?
心理学の分野には、「人間には"無意識"がある」という前提で、心を考える学問があります。
『精神分析』と呼ぶようです。
最近この考え方・学問を知ったのですが、中々面白くて…まだ自分の中で解釈もまとまりきっていないのですが、一旦できる範囲で言語化してみます。
以下の本の一部にあった内容です。
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編著:鳥羽和久
調べてみると、内容が一部抜粋されPresidentの記事に掲載されていましたので、ぜひみなさんもご覧下さい。
ちなみにこの本ですが、上記以外の内容も非常に面白かったです。メインテーマである「学び」に対して、自分もふわふわと感じていたことを綺麗な言葉で纏めてくれていて、かつ批判的な新しい思考もあり、参考になりました。
一年前に書いた自分の「勉強」に対する内容の投稿に共通する意見も相反する意見もありました。
その中でも、1番印象に残ったのが以下の部分です。
【古賀】何かを「思う」ことに、あんまり興味がないんです。自分の内側から湧き起こる感想に興奮しないんですよね。私が思うとか、思わない、にかかわらず、目の前にすでに何かがあること自体に興奮を覚えると言いますか。
【鳥羽】(中略)精神分析では、感情というのは心の表面であり、むしろより深い真実性に接近しないための擬制だという認識があると思います。だから、古賀さんが感情を書かない、感想を禁止する、というそのスタンスに共感するんですよね。
これまで私はnoteでも、映画感想ブログ(別サイト)でも、その時々の自分の感情を大切に記録を重ねていました。
考えや物事に対する感情は状況によって変化するものなんだから、今の考えや感情は大事にするべきもので、それらが未来の自分にとって何かしらの糧になると考えているからです。
何かしらの糧とは、思い出だったり後悔だったり楽しみだったり…きっと自分の原動力になるものなんだと思っています。(いました。)
ただ、精神分析の前提や古賀さんの考え方は、そんな自分の考えは対照的な意見にあたります。
感情は作りもの。
観察することに集中したい。
感想は禁止すべき。
これまでの自分の考えとは正反対すぎる…。
ただ、確かにそう言われてみると、これまで自分→感情というよりは、感情→自分になっていた場面もたくさんあった気がする。今の自分は喜怒哀楽のどれに当てはまるだろう〜という思考。
もしかしたら時に私は感情を自分を鼓舞する自己防衛の手段として作り上げていたのかもしれない?感情は大事にすべきもの!という前提を信じて、無いくせに無理やり感情を生んでいたのかもしれない??
なんだか嫌な仮説ですが、そう言われると当たっている側面も多い気がします。
仕事が上手くいくと嬉しい。
上司の期待を外すと悔しい。
地元をバカにされると悲しい。
好きな友達に中々会えていないと寂しい。
ほんとに?それだけ?
もっと考えていることや動いていることがあるでしょ?
…確かにありそう。
付随してNetflix「LIGHT HOUSE」エピソード2の星野源さんのセリフも思い出しました。
SNSで言ってることを“本音”だと思うことは間違いで、人に見られる可能性があるものは、自分の本音じゃなく“表現”なんだと思う。
これも古賀さんたちが述べている意見に近い気がします。私の過大解釈かもしれませんが、星野源さんは「実際の行動が1番の自分の本音で、感情はいわゆるアイデンティティを示すための1つの手段」と考えているのかもしれません。
うーん、確かに…。
Noteにも他ブログにも、自分をどう見せるかを考えに考えて発信している…。いや当たり前なんですけど、そこに承認欲求がないか?と言われると確実にあって、それは現実を時に過大に、時に過小にフィルターをかけている。
「喜怒哀楽あって当たり前でしょ。」
「別にそんなことまで考えなくていいじゃん」
「感情を無くせってこと?人間とは?」
みたいな反論が生まれそうですが、そういう訳では無いですよね。
「ちゃんと深堀れば、面白いものが出てくる現象を、雑な感情に雑に当てはめるなよ!」
ってことだと解釈しています。
精神分析でも使われているというのは、ここに起因していると思います。
ひとりの人間がその物事を本当はどう捉えているか、どういう解釈をしているか、そういったこと知ろうとすると、無意識的に起こしていることを知る必要がある。
それを知るためには、感情は邪魔なものになっているのかもしれない。
この考え方はまだ理解しきれていないし、共感もしきれていない。もしかしたら今後、やっぱり間違っている!自分はそのときの感情を大切にしたい!と思うかもしれない。
でも一旦引っかかっている。実は自分もこの考え方をしているからなのかもしれない。それこそ無意識的に。
まずはこれを確かめるために、「感想を禁止して、観察すること」を色んな場面で実践してみようと思います。