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”あの日、あの扉を、あけていたなら…”
”もしも人生の一場面を、やり直せるなら、
あなたは、どの場面を選びますか?”
「自分の過去を遡って、この瞬間を修正液で塗りつぶし、上書きする」 そんなことができたらいいのに、と思うことがあります。きっと、みんなあるでしょう。
わたしの人生の中であった、そんな出来事。
2つあるうちの、一つの話です。
2004年春
わたしは、地元の国立大学に入学しました。
高校時代はそんなに派手に遊びまわることもなく、割とおとなしい性格だったわたし。当時、「大学に着ていく私服って、どんなの着ていく?」などと、なるべく悪目立ちしないようにと先回りして、友人に話していた記憶があります。
その性質が、あとで災いすることになるとも、つゆ知らず…
大学入学してすぐの頃は、学部の友人もおらず、一人でいたことが多くありました。それが楽だったからというのもあり、さして気にすることなく、過ごしていました。
しかし、不利益がありました。入学当初の様々に交差する情報を正しくキャッチするには、友人間での情報共有は、とても有益だったからです。逆に、そのネットワークに入っていないということは、明確な不利益だったのでした。
ほとんどの必要な情報は、配布される大量の資料の中に書いてありました。それをそれなりにちゃんと読んでいたわたしは、特に不手際なく、やりおおせていたのですが…。
ついに梯子から落ちる時が来ます。
ある講座の最初の講義を、欠席したのでした。
D224講義室の重い扉
あの日、わたしは。
D224講義室の前で、立ち尽くしていました…
わたしは、指定された時間に、指定された講義室に行ったはずでした。
しかし、そこには誰もいませんでした。
空間が歪んだのかと、錯覚しそうでした。
そんなはずはない…、確かにそう書いてある。
いま、この場所。"ただしい" はずだ。
正確には、”ただしかった” でした。
講義室が変更されていたのです。
学部棟の掲示板で、連絡があったそうです。
わたしがそのことに気が付くことができたのは、
講義開始時間から、30分後のことでした。
いそいでいきました。
しかし、わたしはその教室に、入れませんでした。
30分も遅刻して一人教室に入ったときのみんなの視線。それをが想像してしまい…、それが、怖かったからです。
わたしは、しばらく扉の前に立ち尽くしたのち。
その場を立ち去りました。
禍福は糾える縄の如し、にあらず…
それだけであれば、損はしましたものの、たいして問題はないのです。単位を一つ取らなかったくらい、本来は些事だからです。
でも、不運なことに、この講座だけは、特殊な講座でした。
わたしの所属した農学部では、4つの必修講座があり、そのうち3つの単位が取れなければ、研究室配属で希望が通りにくいルールがあったのです。
わたしが出席しなかった講座は、そのうちの一つでした。
4つのうちの一つを放棄した時点で、ほかの3つをすべて取るしか道はなくなりました。とはいえ、それが達成できれば、大丈夫だと。そんなふうに高をくくっていました。
しかし、現実はわたしに追い打ちをかけてきます。
わたしが受講した3つの必須講座のうち、ひとつは30%の学生しか単位の取れない、難関講座だったのでした。
その事実を知ったのは、
わたしがその講座の期末テストを受ける、
直前のことでした。
不運から連なり続ける時間の果てに。
結局、1回生時に、4つのうちの、2つしか単位を取れなかったわたしは、希望した農芸化学系の研究室には、入れませんでした。
代わりに入ったのが、作物学の研究室でした。
正直、外にでてやる農作業じみた研究なんて、やりたくありませんでした。
そして、半分ふてくされているうちにすぎる時間の果てに。
いま、農業研究の仕事に就くことになるのですから。
ほんとうに、人生万事、塞翁が馬、とは。
よくいったものです…。
あの日の扉を思う
別に今、すごく後悔しているか、というと
実際そんなことはありません。
ありふれたセリフですが、おかげで妻と子らに会えたからです。
後悔はしていません。
ただ、もしも。
あの日、あの時の、
あの扉の前に、
戻れるなら…。
ガチャ…
『あっ、すみませーん。教室間違えてましたー。』
(…そうか、資料をもって、空いてる席に座りなさい。)
『はーい』
…。
そうなった場合の人生も。
歩んでみたいと。
そんな妄想を。
ここに、こっそりと、残します。
ほんのわずかな。
後悔とともに。