なんと素敵な清少納言!
先週の『光る君へ』には、清少納言が『枕草子』」を書くに至ったいきさつが端的に感動的に描かれていた。
これだけで、このドラマを見た甲斐があった~。
他の部分の設定は(ファンの方には悪いけれど)史実的にはめちゃめちゃだと思う。
紫式部が草紙を書くことを清少納言に「勧めた」「ヒントを与えた」などは、どう考えてもあり得ない。
紫式部は自分の名誉と名声の邪魔になると思ったら、和泉式部であれ清少納言であれ追っ払った人なのだ。
紫式部は自分の邪魔にならない無害な人だけを愛するタイプ。
それぐらいの闘争心と名誉欲がなければ『源氏物語』のような大作など書けない。
ま、それはどうでもいい。
清少納言は中宮定子を慰めるため、生きる力を与えるため、ただそれだけのために『枕草子』を書いた。
定子の輝いていたころ、伊周が清少納言の憧れの君であったころ、一生分の幸せを定子と共に生きた、その思い出の花束。
春はあけぼの……
この冒頭は千年後の小学生の教科書に載せるために「やさしく書いた四季の美」ではない。
漢文に造詣の深い定子のためにとてもお洒落で先鋭的な漢詩を踏んでいる。
平安時代の知識人である貴族にしか分からない名文。
だからこそ、この冒頭だけで平安貴族たちはのけぞるほど驚き、感動した。
しかし清少納言は他の貴族など眼中にない。
「これは中宮さまだけのもの。中宮さまだけに捧げる幸せの花束……」
「中宮さま、人の世に何があろうと春、夏、秋、冬は巡りくるのです。なんとこの世は美しいのでしょう。なんと一年は美しいのでしょう。中宮さま、あの日のお正月。あの時の三月……ああ、この世は美しい……」
ころは正月 三月 四月 五月……すべてをりにつけつつ 一年ながらおかし
続く「ころは」の章段は命の賛歌である。
千年後の人が読んで退屈かどうかは関係ない。
ただただ、定子のために記しているのだ。
定子に殉じる覚悟をした清少納言は定子亡き後も書き続けた。
老いて、目がほとんど見えなくなるまで書き続けた。
学者の検証では定子亡きあと少なくとも10年ほどは描き続けたのではないかと推測される。
それもどうでもいい。
清水寺に籠ったときの胸のときめき、
夜、鴨川を渡った水晶のようなきらめき、
長谷寺参詣の宿の窓から差し込んだ白い月光……
「すべてすべて、中宮さまあっての日々です」
清少納言を演じる俳優も上手い。不自然ではない。私の描いていたイメージと違わない。
定子を演じる俳優も上手い。
刀を振りかざし自分の髪を切る場面、息を呑む迫力だった。
あの場面だけで『枕草子』のすべてが分かる迫真の展開だった。
終わり