標準って何?
小学5,6年から中学にかけて、鹿児島市の学校に通っていた私は熱心な標準語教育を受けた。いや、受けさせられた。
「方言は田舎言葉です。使ってはいけません」
私の通っていた学校独自の方針ではなく、日本全体で標準語教育が推し進められていたのだと思う。
『方言は田舎言葉。標準語を使えなければ東京で馬鹿にされる」
そんな価値観が教育現場にはあふれていた。
ラジオの『学校放送』を皆で聞き、標準語を教え込まれ、
「『カゴンマ弁』を使ったら廊下の拭き掃除じゃっど、よかか」
先生は『カゴンマ弁』でまくしたてた。
私は両親の方針でかなり標準語に近い言葉を使っていたので、放送委員に任命され,弁論大会では優勝した。
私は「言葉の綺麗な人」と先生たちには思われていたようだ。
今、思う。
標準語教育は間違いだった。
明治政府の最大の間違いだった。
日本中で方言狩りを実施。
標準語こそ「日本の標準」という価値観を学校現場に植え付けた。
ところが、幼いころから喋っていた方言、
そげん簡単に
討ち死になんかせんわ。
「東京さ、出てきても、集まると、カゴンマ弁じゃがねえ」
「カゴンマ弁は懐かしか~」。
東京のど真ん中のホテルのロビーで
「よかが、よかが。そん服、似おうちょるが」
「ほんのこて、似合おうちょるが」
「カゴンマの人と会う時は遠慮なくカゴンマ弁を使えるち」
小さな声で盛り上がる。
標準語が上手と褒められていた私、
年取るにつけ、なぜかカゴンマ弁が出てきて、娘たちが大喜び。
「ヤンカブルってどういう意味?」
「ズンダレル、ってどういう意味?」
「翻訳、不可能!」
「教えて」
「想像しなさい!」
「方言って雰囲気があってよかねえ」
娘達も少しカゴンマ弁になったがね。
昔昔のこと。
娘二人を連れてカゴンマに旅行した時、
小学5,6年だった娘、
私の友人の喋るカゴンマ弁に
ズンバイ心惹かれたようじゃが。
「聞いていてなんか楽しい。意味が分からなくてもなんか通じる」
「温かい感じがする」と。
今、テレビでは堂々とタレントたちが方言を使っている。
いったい、標準語教育とはなんじゃった?
そもそも、標準って誰が決めるんじゃ?
そげなこと、知らんがね。
☆ただし、今では、純粋なカゴンマ弁を使う人はいないと思います。
終わり