定子は一条を愛していたのか
枕草子の中の定子の歌と言葉。
元輔が後といはるる君しもや今宵の歌にははずれてはおる
歌人元輔の子であるそなたが、なぜ、今宵の歌に加わらないでおとな
しくしているのか(清少納言をからかい励まして詠みかけた歌)
など こう音もせぬ 物言え さうざうしきに
静かに秋の月を眺めている清少納言に「何か話せ、寂しいから」と仰
せになる。
第一の人に また一に思はれむとこそ思はめ
大勢の方々が候ふ場で、「愛されるのなら2番、3番は死んでも嫌。
一番でなければ」と言った清少納言がすぐ後で言い過ぎたと思い、
へり下ると、「言い切ったことは押し通すのだ。第一級の人に一番に
愛されたいと思うことが大切だ」と説教。
言はで思ふぞ
道長と通じていると疑われ里に引きこもった清少納言に密かに文を届
ける。「何も言わないが、そなたのことを思っているのだよ」
われをば 思ふや
発出仕のころの清少納言に「まろを愛するか」と問う。
みな人の花や蝶(てふ)やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける
1000年5月5日。
道長の娘彰子が中宮に。定子は名ばかりの皇后に押し 出され道長の臣
下の元で寂しく姫宮・若宮の端午の節句を祝う。
一条は道長の顔色をうかがい彰子に入り浸り。
そんな中、誰かが「あおざし」という悪阻に効く菓子を密かに届けて
くれた。
その時の歌。
その冬、定子崩御。
あかねあす日に向かひても思ひ出でよ都は晴れぬながめすらむと
定子孤立化を図る道長は定子の乳母を日向に流す。「日向でも思い出
しておくれ。都では涙も乾かないまろがいることを」
枕草子のなか、唯一の定子の涙
山近き入相の鐘の声ごとに恋ふる心のかずは知るらむ ものをこよなの長居や
清水に籠った清少納言に「恋しいから帰っておいで。あまりの長居で
はないか」
われをばいかが見る
豪華な紅梅の衣装に身を包み、清少納言に「まろをどう見るか」
後宮のトップとして女たちを統べていたころの自信あふれていたころ
これらを見るに、一条への思いはあまり感じられない。
「あおざし」を贈ったのは誰なのか。
『照る中将源成信』か。『光る中将藤原重房』か。
二人は定子崩御後、手に手を取って三井寺に駆け込み出家。
その後も貴族たちの出家は止まらず一種の社会現象になったという。
道長を忖度して貴族たちが定子の行啓にも葬儀にさえ姿を見せない中、二人は果敢にも定子の傍にいつも従った。
定子は一条を愛していたのか。
定子は後宮の女主として責任を果たした。それを自らの仕事とみなしていた。夫は、ただその立場にいるだけの存在だ。
定子は、道長の虐めに耐え、子を三人なし、命果てた。
仕事を成し遂げたのだ。
そもそも、出家した定子を強引に宮中に入れ、「出家の身で」と世間に非難され、軽蔑されるという『針の筵』に据えたのは一条だ。
彼は定子への性愛を断ち切れなかったのだ。
弱り切っている定子に最後の妊娠をさせ、結局、死なせてしまった。
多分、それほどに定子には性的魅力があったのだろう。
それゆえ、道長は定子を恐れた。
色気とは縁遠い彰子では太刀打ちできないからだ。
定子は落ちぶれ果てても、毅然として「女房達の女神」であり続けた。
「女主人」としての誇りを捨てなかった。
一条は、政略結婚であてがわれた夫に過ぎない。
彼女がほんとうに愛したのは……
「あおざし」を贈ってくれた人ではないか。
それが誰かは定子以外知る人はいない。
追記:定子の歌と言葉にはいろいろな解釈があり、とくに「みな人の花や蝶やと」の歌には解明されていない部分が多い
おわり