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戦慄のセザンヌ物語

吉田秀和さんは音楽評論家だと紹介されるが、この評論家という肩書きは、小林秀雄が登場してから曲者になった。「実朝と公暁」という歴史小説を書くとき、さまざまな文献──といっても大多数が、今日の歴史学者や文芸評論家や歴史作家たちの──にあたったが、それらあまたある類書のなかで、小林秀雄の「実朝」が郡を抜いて突き刺さってきた。さすがに、実朝と彼が生きた時代を鋭くとらえていて、舌を巻く思いだった。小林秀雄のなした仕事は大きく、とうてい評論家などという範疇でとらえることできず、むしろ言葉という大木を打ち立てた言葉の人と呼ぶべきであろう。それとまったく同じことが吉田さんにもいえるので、吉田さんは音楽評論家などではなく、日本語という大木を打ち立てた言葉の人なのだ。

吉田さんは音楽だけではなく、絵画を探求することにも大きなエネルギーを傾注してきたが、その思索と創造が結実したのが「セザンヌ物語」であった。なぜセザンヌに魅かれるのか、なぜセザンヌには堅牢で、犯しがたい気品があるのか、なぜセザンヌは傾いている絵を描いたのか。なぜ遠近法を無視し反逆するような絵を描いていったのか。なぜ今にもリンゴが転がり落ちるような絵を描いたのか。なぜ丸太を転がしたような肉体の群像を描いていったのか。それでいてセザンヌの絵は壮麗というより、むしろ荘厳な音響を響かせるのはなぜか。なぜ彼の絵は近代絵画に新しい道を開くことになったのか。それら数多の謎を追求していく、戦慄のドラマである。

私はこの作品を、ひと夏かけて精読したことがある。吉田さんがそれこそ半生をかけて思索し、格闘し、創造していった物語である。読者にも深い思索をもとめていて、いくら謎を追及する物語だからといって、推理小説を読むようなわけにはいかない。毎日、三ページ四ページといった速度で読むというより仕方のない物語である。そんな精読を続けていると、不思議なことが起こっていった。それは吉田さんが刻み込んでいく言葉によって、セザンヌの一点一点がありありと見えていくのだ。それは驚くべきことである。絵画とは絵である。絵を描くから絵画になるのである。言葉をいくら積み重ねたって絵画にはならない。しかし吉田さんは、言葉によって絵画を描くという奇跡を行っていたのである。私はそのことにはじめて気づいた。

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 絵を言葉で描くことに苦闘した人

例えば、小林秀雄もまた絵画に深く傾倒していて、「ゴッホの手紙」や、セザンヌからピカソまで俎上にのせた「近代絵画」という大きな作品を残している。「セザンヌ物語」を読み、吉田さんの到達した技法というものにふれたとき、この小林秀雄の描いたもう一つの「画家たちの物語」がよく見えるようになった。小林秀雄の手法というのは、ちょうど外科医が肉体を切り開いていくように、よく尖れた鋭利な言葉というメスで、画家たちを切り開いていくのである。その執刀は、はっと息を飲むばかりに鮮やかである。彼のメスはさらに深く、画家たちの肉体と精神の内奥を切り開いていく。私たちはその裁き方に呆然とするばかりだ。しかし、この外科医は、そこで突然、執刀を打ち切り、手術台の前から立ち去ってしまうのだ。ぱっくりと切り開かれた画家たちを目の前にした私たちは、その場に呆然と立ち尽くすばかりなのだ。それが小林秀雄の物語だった。だから小林秀雄の物語からは、絵が見えてこない。

しかし吉田さんの物語はちがう。吉田さんの「セザンヌ物語」は、セザンヌの絵一点一点が見えてくるのだ。どうしてこういうことがおこるかというと、吉田さんは、まず文字というものを後方に押しやる。文字とは、画家が残した手記とか、書簡とか、あるいはその同時代の芸術家たちの著作であったり、後の美術歴史学者や美術評論家たちの研究書といったものである。絵とは、その一枚の画布に描かれたその絵が、すべてなのだ。画家はその絵の中に、すべてをたくしている。数多の謎も、すべてその中に織り込まれているのであって、だからこそ吉田さんは、まず一枚一枚の絵を見ることからはじめていく。

しかし謎を追求していくには、言葉が必要だった。言葉という道具がなければ、その謎の核心に下りていくことなどできない。そのとき吉田さんはどうしたのか。一枚一枚の絵を、言葉で描くということをはじめていったのだ。そんなことができるのだろうか。絵とは言葉にならぬものではないのか。絵と言葉とは次元がちがうものではないのか。しかし吉田さんは、その次元のちがうことに踏み込んでいったのだ。セザンヌが突き立てる数多の謎に踏み込んでいくには、そうする以外にないからである。

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森の奥に立つ叡智の樹

吉田さんにだって好みがあるはずであり、何百人といる作曲家のなかでもいまこの番組で取り上げているシュトラウスは、吉田さんの好みの上位に入る作曲家ではないのだろうか。このリヒャルト・シュトラウスは、指揮者にとって特別の意味をもつ存在であるらしい。というのはこのシュトラウスをいかに指揮(ふる)かによって、大指揮者としての道を歩むのか、それとも並の指揮者で終わるのかというふるいにかけられる。大指揮者たちはいずれもこのシュトラウスを、新生の輝き、新生の音楽にして颯爽と楽壇にデビューしていったと、まあ、こんなことはみんな吉田さんから教えられたことだが。

かつてどの村にも叡智をもった老人がいて、その老人はその村を覆うばかりの葉をつけた一本の巨木にたとえられた。子供や若者はその巨木を見上げながら育ち、大人たちはいつもその巨木に問いかけながら生きてきた。歴史の木である。文化を伝承する木であり、魂を新しい世代に引き渡す木である。その巨木に村は見守られていたのだ。しかし今日ではこのような木は壊滅してしまった。いまや知恵と歴史と魂をたたえた巨木は、町はもちろん、どんな村を訪ねても立っていない。

歴史を知りたかったらインターネットで検索すればいいのだ。あふれるばかりの情報がコンピータースクリーンに映し出されていく。文化を伝承するとか、魂を引き継ぐなどといったことは余計なことである。古い文化などいまの時代には使いものにならない。旧時代の魂など受け継いでどうするのだ。村の中心に聳え立つその木は、開発や発展を阻害する老害とよぶべきものであり、新しい世代が登場するには邪魔な木であり、こんなものは一刻もはやく切り倒すべきだというわけだ。

老人とは棺桶に片足を突っ込んだ人であり、やがてこの地上から灰と煙となって消え去る人である。どんなに大きな仕事をなした人も、どれだけ深い知識をもった人でも、老人とはもはやそれだけの存在であるから、あとは棺桶に両足を突っ込む日にむかって、社会の片隅で、周囲に迷惑をかけず、ひっそりと生きよという時代なのだ。時代は激しく進化していく。それは流行とか時流などといったものではなく、社会のシステムや本質がその根底から一変していく進化である。このような激しい進化の時代に、老人はただ消え去るのみであり、それがこの進化の時代における老人の役割である。

FM放送「名曲の楽しみ」とは、こういう時代に反旗を翻す番組ということになる。いや、そう書くよりも、冒頭で書いたように、その木立につけた葉をふるわせて、この地上を覆う汚染された大気を浄化せんと懸命に光合成をしている番組だと。この番組は音楽を語る番組であり、クラシック音楽が流される番組である。しかし私たちは吉田さんの毎週語られる言葉の背後に、あるいは吉田さんが選曲した音楽の背後に、光合成をなした新生の酸素が大気に漂ってくるのを感じるのだ。時代は澱み、幼稚になり、退化していく。だからこそ生命のかぎりをつくして、この汚れた大気を浄化せんと光合成しなければならないという気配を。

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