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ぼくたちが花を植えた公園のベンチに座り本を読んだ
わが町の二友会のメンバーがわが西中延の公園に花を植えたのは十月だった。寒さ厳しい冬将軍がやってきて、もう年があけた一月、その花々はもう枯れてしまったのか。とんでもない。その花々はなお鮮烈な輝きをわが町に放っているのだ。ぼくはその公園のベンチに座り、ウォールデンの「森の生活」を読んだ。
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読書 H.D.ソロー著 飯田実訳
しっかり本を読むこと、つまり本物の書物を本物の精神で読むことは気高い修練であり、近ごろの風習が尊重しているどんな修練よりも読者にきびしい努力を強いるものである。それはむかしの運動選手が耐えていたような訓練を──ほとんど全生涯にわたる、目的達成のための絶えざる精神の集中を要求する。
書物は、それが書かれたときとおなじように思慮深く、また注意深く読まれなくてはならない。書物を書くのに使われた言語を話せるというだけでは十分ではない。話し言葉と書き言葉、聞く言葉と書く言葉とのあいだには顕著なへだたりがあるからである。一方はふつう、一時的なものであり、音声、おしゃべり、方言にすぎず、ほとんど動物的なものといってよく、事実、動物とおなじように人間はそれらを母親から無意識のうちに学ぶ。
もう一方は、話し言葉が成熟し、経験と積み重ねることによって成立したものである。前者が母の言葉なら、後者は父の言葉であり、耳で聞き取るには、あまりに意味深い。じっくりと選び抜かれた表現なので、それをしゃべるためにはもう一度生まれ変わるほかはない。
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