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浪江町を襲った大災害を私たちはもう忘れている

今年中に読書社会に本を投じることを決意した十人の人々への手紙
読書社会に本を投じる十人の人々をサポートする百人の人々への手紙

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人間は過去のことをたちまち忘れ去っていく。しかし忘れてはならないこと、忘れてはならない人がいる。ぼくはこの人のことを忘れることはできない。忘却の底に断じて消し去ってならぬ人だ。福島第一原発の爆発、この大災害が人口二万一千人が住む浪江町に襲いかかった。浪江町町長の馬場有(たもつ)さんである。浪江町復活のために懸命に戦ってきたが、任期なかばにして亡くなった。彼がぼくたちに放った言葉をこの森に植え込み、永遠にそびえ立つ大木にしたい。

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あのとき津波がくるというので、私たち役場の者は住民の避難誘導から避難場所までずうっと警戒にあたっていたのです、津波がやってきた、巨大な津浪が浪江町を襲った、多くの人が津波に飲み込まれたんです、その方たちが屋根に上がって、助けを求めていた、とうぜん私たちはその方たちを救出しなければならない、ところが三月十二日の朝五時四十四分に、十キロ圏内に避難指示が出た、原発事故が起きたということで、避難指示がでたということは、町を直ちに出なさいということですね、もう十キロ圏内は危険だからただちに避難しなさいということです、ですからそこに助けを求める人がいっぱいおりながら、私どもは助けることができなかった、それが非常に残念です、私がひげをのばしたのは申し訳ないという気持ちからでした、十キロから二十キロ、二十キロから三十キロ、三十キロから四十キロと避難していったんです、申し訳ない、申し訳ない、申し訳ないということでね。

そういう状況のなかで遺体が、いっぱいころがっていたんですよ、そこで遺体収容ができなかったは、そこが警戒区域で入れなかったんです、ところが放射能の線量は、その地帯はぜんぜん高くなかった、平常通りだったんですよ、原発が爆発して、ベントされた放射性物質が、浪江町の沿岸地帯に落ちたんじゃないんです、風にのって山の方に流れていったんです、ちょうどあのとき北西の風が吹いていた、これが不思議なんですね、冬の風は山から西に流れるんですよ、ところがあのときにかぎって海から吹いたんです、スピーディにはっきりと出ている、だからそのことがわかっていたら、私たちは逃げ出す前に、助けを求めている人たちを救い出すことができたんですよ、それが非常に残念だった、そのことが悔やまれてしかたがないんです。

十二日の朝の五時四十四分ですね、住民に十キロ圏内に避難指示がでたんですが、これを私どもはテレビで知ったんです、浪江町に避難指示が出たということを、そういう重大事故の状況はいっさい私たちに情報をよこさない、国も、福島県も、東電も、十キロ圏内というのは、町の真ん中に一万五千人が住んでいるわけですから、もう浪江町のあらかたの人数ですよ、浪江町の人口二万一千人のなかの一万六千人、それを十キロの外に出してくれということです、これは避難する場所も、避難経路もなんにもやってないわけですから、われわれはどうやっていいのか、本当にとまどいですよ、前もってこういう風にきめてやったとしても、あの状態ではものすごい渋滞でね、避難するのはなかなか容易じゃないですよ、災害本部をひらいてどうも原発の事故が大変なことになるということで、役場から三十キロ離れたところに移そうということで、役場を午後三時に閉庁したんです。

私どもは防災無線で連絡しました、それから広報車で連絡しました、消防、警察、そのすべての通路を使ってですね、十キロの外に出て下さいということで、役場も津島にもっていくと指示をだしました、それからですよ、町民の方がどんと避難したのは、そのときは、避難はもうあれですよ、地獄ですよ、私どもの町ばかりじゃないですから、隣の町、さらにお隣の町、その人たちが道路一本しかないんですよ、国道一本、国道といったって県道と同じです、大型車が通れない道路ですよ、そこにどんと車がおしよせたから、これはものすごい地獄絵のような感じでした、それで避難者たちは、町や村の公共施設とか学校の体育館とかどこに入れずに、焚火などして夜をあかしましたが、そこでね、もっとも必要なものは食糧でしょう、水、それから毛布、ないんですね。

で、福島県にお願いしました、こういう所に避難しているから早くもってきてくれ、水も供給してくれ、駄目です、これは地震で、福島県全域がおかしくなっていましたから融通がきかない、私どもは原発事故で避難しているんだと言ってもぜんぜん駄目です、一番早かったのはどこだと思いますか、新潟県です、福島県よりも先に来ました、毛布、それと水、ところが二日目になってももってこないんです、なぜもってこないかというとドライバーが、あの放射線の高いところに入れないというんです、途中までで来ているんですよ、しかし入ってこない、浪江町津島というところで、テレビのテロップが流れているんです、浪江町津島、一時間あたり二〇〇マイクロシートベルト、二〇〇マイクロミリシートベルトですから、運転手はおっかなくて入ってこない。

警察まで逃げたんですからね、あの防護服を着て、あの宇宙服みたいな、そんな姿であらわれたんですよ、一般のわれわれは丸裸ですよ、それで私はたのんだんです、警察署の職員が宇宙服みたいな防護服を着て歩いているけど、あれはやめてくれ、町民の人たちが不安におののいている、なにかとんでもないことが起こったかと不安におののいている、あれはやめてくれって、それでようやく脱いでもらいました、警察には情報が入っていたんですね、知らないのは私ども町民だけでした、こうして私ども津島に避難しました、ところが、十四日、十五日と爆発です、モンスターのように、一号機が爆発したと思ったら三号機、三号機はだめだと思ったら二号機、いや、これではもうだめだ、もっと遠くに避難させなくてはだめだというで、五十キロ離れた二本松市に避難してきました。

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