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吉田秀和さんは言葉の作曲家であり、言葉の画家であり、言葉の演奏家でもあった。

今年中に読書社会に本を投じることを決意した十人の人々への手紙
読書社会に本を投じる十人の人々をサポートする百人の人々への手紙

奇跡の番組

土曜日の夜、闇も深くなり、生活の喧騒も遠く去っていくとき、NHKのFMにチャンネルをあわせると、まるで森の奥に聳え立っている一本の木立から放たれるように、「名曲の楽しみ、吉田秀和」という声が流れてくる。なにもかも数値といったもので決まっていく時代にあって、これは奇跡というものに属することだった。吉田秀和さんは一九一三年の生まれだから、今年九十四歳である。九十四歳の人がラジオの定時番組を持っているなど、今日ではありえない奇跡に属する出来事であろう。土曜の夜である。しかも九時という時間帯(再放送が火曜日の午前十時から)に組まれている。FM放送といえどもゴールデンアワーのなかのゴールデンアワーである。民間放送ならば絶対に成り立たない、いや、公共放送だって常軌を踏みはずした番組編成である。

名曲の楽しみといっても、だれもが知っている耳になじんだクラシック音楽が流れてくるわけではない。いまこの番組で取り上げられているのは、リヒャルト・シュトラウスである。シュトラウスが世に残した作品のほとんどが、彼の失敗作といったものまで含めて何週にもわたって放送されていく。よほどのクラシック愛好者でなければ、ちょっと近づけない番組である。
しかしこの番組は、ただのクラシック音楽の番組ではないのだ。この番組がオン・エアされるとき、この英語の表現のごとく、吉田さんの言葉と音楽が、この日本の空に広がりわたっていく。それはあたかも森の木立が光合成によって、いっせいに清新な酸素を大気に放出するさまに似ている。汚れた大気をふり払う生命とよみがえりの声である。日本の退廃をせき止める声であり、疲労と衰弱で疲弊していく大地の中に流し込む声と音楽の雨である。日本人の大多数は、こんな番組が存在していることさえ知らない。

上記したエッセイはすでに「note」に植え込んでいるが、みごとに大きく成長している。やがてこの木は大木になっていくだろう。そしてまたこの木の脇に、あらたな苗木を植えこもう。

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私たちはいままた「名曲の楽しみ」という番組のなかで、この大いなる闘争を背負った人の、その大いなる闘争をまざまざとみることができるのだ。吉田さんはこの番組で、一人また一人と作曲家を取り上げ、その作家が残してきた主要な作品を流していくのだが、そのとき蓄積した薀蓄を披露するという作業などですむわけがない。番組で取り上げる一曲一曲は、吉田さんに新しい言葉を要求しているからである。生命力をもつ作品は常に生きている。常に時代とともに成長をしていく。だから吉田さんはふたたびその曲を新しい言葉で描いていかねばならない。こうしてこの番組のなかに、その一曲一曲がどんなに長大な大曲でも全曲が流され、そしてそこに吉田さんが描く言葉の音楽がかぶさっていくのである。

大きな創造は必ず大きな絶望を背負っている。吉田さんのこの毎週毎週流される言葉と音楽の背後に、吉田さんが背負ってきた、そしていまもなお背負っている大きな絶望を見ないわけにはいかない。その一つが日本の腐敗である。ほぼ一世紀を生きてきた吉田さんの目には、いまほど日本人の魂がよどみ汚れていない時代はないと映っているにちがいない。いよいよ日本人は矮小になり、物質的になり、その本質が腐敗していく。だからこそ音楽なのだ。音楽は人間のけがれた魂を洗い、高き峰をめざして気高く生きよと魂を覚醒させるのだ。吉田さんはその番組でそういう言葉の音楽を奏でているのである。

吉田さんは、言葉で音楽を描くことをなしとげた言葉の作曲家であり、さらに絵画を言葉によって描き上げることにも成功した言葉の画家であったが、もう一つ、大きな仕事があった。それは演奏家たちの、その演奏を言葉によって描くことを追及した言葉の演奏家だった。指揮者が、オーケストラが、ピアニストが、ヴァイオリニストが、チェロリストが、どのようにその音楽を奏でその旋律を紡いでいるかを、吉田さんは言葉によって描いていったのだ。したがって吉田さんは、言葉の演奏家でもあった。

しかし1971年からとぎれることなく続けられた「名曲の楽しみ」が、2003年に突如として途絶える。吉田さんになにがあったのか。吉田さんになにが起こったのか。

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