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われらの大地を襲った二つの悲劇

大地讃頌

母なる大地の ふところに
我ら人の子の 喜びはある
大地を愛せよ 大地に生きる
人の子ら その立つ土に感謝せよ

平和な大地を 静かな大地を
大地を褒めよ 讃えよ土を
恩寵の豊かな大地 我ら人の子の
大地を褒めよ 讃えよ土を
母なる大地を 母なる大地を
讃えよ 褒めよ 讃えよ土を
母なる大地を ああ
讃えよ大地を ああ

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澄んだ悲劇と濁った悲劇

 地震と津波による惨禍、そして勃発した原発事故の惨禍に遭遇した人々を、トローニーという手法を用いて描いていくとき、痛切に私の中に刻み込まれていくことがある。高さ三十メートルにも及ぶ津波の襲撃は、それこそ村や町を根こそぎ奪い取っていった。なにもかもすべてが奪い去られた。その悲劇は限りなく深い。父や母を、妻や夫を、子供や孫を奪われた。その悲しみや絶望は限りなく深い。しかしその悲劇を背負って生きている人々の像は澄んでいるのだ。その悲劇をやがて受容していくからなのか。その悲しみや絶望をやがて祈りや物語に浄化させていくからなのか。海の暴力を彼らは許すのだ。海は彼らの生そのものだった。海は彼らの明日をつくりだしていくのだ。
 しかし原発事故の惨禍にあった人々の像は濁っている。放射性物質という死の灰が大地に大量に降り注いだのだ。屋根に、庭に、道路に、駐車場に、学校に、橋に、公園に、駅に、商店街に、事務所に、港に、工場に、公民館に、郵便局に、役場に、病院に、田畑に、森林に、川に、山に、海に、人々の上に。そして人々の内部に。死の灰というモンスターは彼らの生をゆがめ、汚し、濁らせていくのである。今なお跳梁するこのモンスターをどうして受容できようか。生命を破壊し、生命の循環を断ち切るモンスターだ。この悲劇から明日の物語など生まれようがない。人々に背負わされた悲劇は、いよいよ彼らの生を濁らせていくのである。

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