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最近疲れが取れないのは、長時間労働と労働内容に価値を感じてないからかも

人間はやはり意味のない時間を過ごすことには耐えられないようにできていると思う。
他人の労働で費やす、労働者としての膨大な人生の時間の切り売りは、それが己の人生にも価値がある内容であって初めて、価値があるように思う。

社内の周りの全てが価値を感じていても、経営者ではないなら、己の人生そのものを考えたときに、その会社や業務内容に価値を感じていなければ、さっさと卒業がふさわしいのだろうと思う。なぜなら常に人生は一度きりだからだ。

未だに梅雨は来ないが、遅すぎた5月病かも

労働時間の長さは、それが経営者や社長でない限りは全て他人のための人生の切り売りでしかない。
今すぐに経営者や起業家、社長や個人事業主にならないと、自分で自分の人生をコントロールしている感覚にはなれないし、やはり自分にはサラリーマンや労働者の立場は相応しくないのかもしれないと思う。

事業を準備するも、まず物件の選定に悩む

定期的に物件を探索しているものの、己のビジネスを捧げたくなるような素晴らしい環境・場所は多くはなく、一世一代の頑張り物語になるだろう場所の選定には心底慎重になってしまう。むしろ本格的に準備を始めるならさっさとフルタイム労働なんてやめればいいだけの話だし、自分にはそんなバイタリティや気力なんてない。それでも資産が減らないぐらいの労働は継続したいつもりだ。

Let it be

労働に関しても、なんでもそうだが、新しい業務や価値観やコミュニティに慣れるにはどうしてもある程度の期間が必要となり、それらが正しかった時間の使い方だったかどうかは、未来にしか分からない。
だからとりあえず人間は、石の上にも三年、などと言い、ある程度未来に託す生き方を強いられるわけだが、早く逃げないといけない場合も多い。
つまりは、自己のアイデンティティが定まっており、他人の価値観に振り回されていない主体的な自分の選択ができていれば、そこまで振り回される人生、疲れる人生にはならないように思うが、自分には難しいようだ。

しかしながら、未だにアイデンティティーなんてわからないし、それに向かって一心不乱に今から進路を変えたとしても、1流になるまでのタイムリミットはギリギリか2流で終わるのが精いっぱいかもしれない。
それでも、人生最後に後悔しないのは、自分らしい仕事に振り切ってそこにできるだけ長く時間を費やした人生であるように思う。

人生は何度でもやり直せる、カーネル・サンダースのように


30代後半になり事業を起こすも大恐慌の影響で倒産、その後ガソリンスタンドに併設したカフェでビジネスに成功したカーネル氏のように、事業を起こすのはいつでも可能である。

今や全てがビジネス、全てが個人事業主としての商機に溢れた時代である。
倒産も成功も、自分が直接関与していないと社畜で終わる人生は、幕の内弁当やハッピーセットを食うだけの人生でしかなく、本当に自分固有の宿命を活かし輝かせるような大事業は、自分のビジネスでこそ実現可能と思う。
計画経済の共産主義のような、窓際族だの同一賃金同一労働で終わる人生もまた固有ではあるが、やはり一度の人生は自分色に染まった会社や法人という、自分の分身に働いてもらうことこそが資本主義のハッピーエンドであるし、結局は自分はこっちの方が自分の人生の最期に納得できそうである。

だからこそ、さっさとビジネスを始めたいと思う。
自分のように全てにおいて改善点がどんどん湧いてくるようなINTJみたいな性格だと、自分が作ってないコミュニティや社会組織集団のアラが気になってしょうがないからだ。しかもそれらは自分の力では変更が容易ではない。そういう人間はやはり自分がトップとなり、全てにおいて改善点をすぐに改善できる権限のある組織を作らないと、ストレスになりうると思った。

物件の選定や商圏調査、融資に事業計画と、やらねばならないことは多いのだが、遅れた5月病を振り切って、起業家精神で、がんばるぞい。

宜しければ人生サポートお願いします。記事書きます。