第18回「本を売る」ことに魅せられて
2006年(平成18年)正月。長女は志望していた音大付属の高校への受験をあきらめて、推薦入試で県立高校を受験しました。僕は娘の希望を叶えることができず不甲斐ない気持ちでいっぱいでした。娘は音楽は趣味として続けると言い、大人たちに混ざって、海老名にある吹奏楽団に入団し、ババ(祖母:僕の母)からもらったクラリネットを大事にしてくれたのです。
1月9日、志夢ネットの仕事の後に渋谷のブックファーストに出勤。基本的には夜の出勤者はレジに入ることが多いのですが、メイン担当ではなく、サブとして棚のメンテナンスをしていました。僕はIT系の出版社で働いていた経験もあり、コンピュータ書のサブをやらせていただきました。昼間に入荷する新刊や補充分は基本的にメイン担当者が棚出ししていましたが、メイン担当者が休みの時は、夜でも棚の補充をします。ブックファーストの場合、棚さしの本は売れて在庫0になると自動発注がかかるシステムです。取次店は大阪屋でした。補充商品にはシールが貼られていて、そこには棚の番地が書かれています。この番地に従えば誰でも棚出しができるのです。昭和時代と決定的に違う点ですね。僕が紀伊國屋書店で働いていた時は、補充品には注文短冊が挟まれていました。もちろん棚の住所や番地などはなかった時代です。この棚の住所と番地(大分類、中分類、小分類)があるので、店内にある検索機を使えば、お客様も、どこに何があるのか探すことが容易になったのです。
ところが、注文した本が品切れの場合、注文短冊で発注していた昭和時代は、注文短冊に「品切れ」という判子や「重版出来◯月◯日」という判子が押されてかえってきましたが、自動発注は「品切れ」の連絡がありません。きちんと自店で管理していないと、棚がスカスカになってしまうのです。
1月16日、東京地検特捜部がライブドア本社の捜査に入り、1月23日には偽計、風説の流布などの証券取引法違反で、社長の堀江貴文はCFO(最高財務責任者)宮内亮治などの幹部と共に逮捕されました。粉飾は53億円余り、堀江被告は「粉飾決算は指示していない」と無罪を主張しましたが、懲役2年6カ月の実刑が確定しました。(ライブドア事件)
1月17日、第134回 芥川賞は、絲山秋子の『沖で待つ』(『文學界』2005年9月号)が受賞、そして、直木賞は、東野圭吾『容疑者Xの献身』(文藝春秋)が受賞しました。東野圭吾は、5度落選し6度目で受賞。既刊本もたくさんあるので、書店にとっても待ちに待った受賞でした。
1月26日、出勤早々携帯電話が鳴りました。電話にでると女性の声で「草彅さんの携帯ですね。今、会長に代わります」と言うので、どこの「会長さん?」と思ったら今井書店の永井伸和会長からの電話でした。
今井書店さんは、鳥取県の米子で本の学校を運営しています。 電話の用件は「7月に本の学校を東京で1日開催する」という件でした。
そういえば、2000年にも東京で開催したことを思い出しました。あのときは、安藤哲也さんがコーディネートして作家の重松清さんを呼び講演もあって、とても面白いセミナーでした。
詳細は、2月に永井会長が上京した時に打ち合わせということで電話を切りました。
今回は、日本書店大学も協賛するので、その準備で忙しくなるぞ~。
この頃、僕はブックファーストで働く女子大学生からSNSのmixiに招待されたのです。すると、昨年「店長パワーアップセミナー」で、お世話になった本の雑誌社の杉江由次さんも、mixiをやっていたので、すぐにお友達になりました。
その杉江さんの日記で、僕は7年ぶりに友人と再会するのです。
杉江さんの2006年2月6日の日記を引用します。
僕は1988年(昭和63年)明日香出版社に就職して、はじめて行った出張が広島〜福山〜岡山でした。広島のバスセンターにある紀伊國屋書店広島店は圧倒的で、トーハンの中四国支社の売上の大半が紀伊國屋書店でした。あの頃は、紙屋町の積善館書店、本通りの金正堂、丸善、広文館などが軒を連ねていました。郊外にあったフタバ図書ブックスラフォーレにも、路面電車やバスを使ってお伺いし、この時、藤坂康司さんにお会いしました。広島から各駅停車で三原や尾道にある書店を訪ねて、福山で下車すると、郊外に啓文社が何店舗も展開していました。コア店(コア春日店に名称変更。2024年1月21日閉店)の店長は、世良昭示さんで、児玉憲宗さんと、はじめてお会いしたのは、このコア店だったかな?年齢も近く、児玉さんが3つ上ですから、当時26歳、僕は23歳。すぐに意気投合して、飲みに行きました。翌日も福山をまわり岡山に入る手前の倉敷で下車して、ブックスクエア啓文社倉敷店に、お邪魔したのは夜の8時をまわっていました。初出張で極度の緊張と疲労がでていた出張4日目の夜、自分では気づかなかったのですが、顔色が悪い僕に店長の大田垣好治さんが「仕事で来たんじゃろ。もう少しシャキッとせい」と言って、隣のドラッグストアでリポビタンDを買ってくれました。そして、僕にこう言いました。「わしゃあ、明日香さんの本を贔屓にしとるけんのぉ」このひと言で疲れが吹っ飛びました。でも、こうしてご贔屓にしてくれているのも、前営業担当のおかげですね。引き続きご贔屓いただけるよう僕も頑張らねば。その後も、広島へは年3回のペースで出張し、児玉さんには事前に電話して会う約束をし、大田垣店長には、お饅頭を持って伺っていました(笑)
児玉さんは、アイデアマンで確かキャスパ店の店長をしていた時に、コミケなどで売られている同人誌を扱っていました。しかも、気を衒ってというよりかは、当時のキャスパを利用する若者を、しっかりターゲットとしてさだめて、同人誌を扱っていたのです。こうした取り組みがクチコミで広がり、他県からもキャスパへ集客することに成功したのです。
時が経ち1999年(平成11年)啓文社ポートプラザ店がオープンするお知らせをもらいました。このお店は、売場面積500坪、日販の最新のテクノロジー(トータルシステム)を使った書店でした。そのお店の店長に児玉さんが、抜擢されたのです。
僕は、オープン日にお店を訪ねました。ピカピカのお店と、やる気に満ちたピカピカの児玉さんに会ったのです。ところが、数ヶ月後、福岡出張の帰りに新幹線で急遽ですが福山へ行き、児玉さんのお店を訪ねたのです。すると児玉さんの姿はなく、サンピア店の店長だった武村達也さんがポートプラザ店の店長になっていたのです。「児玉さんは?」と武村さんに訊ねても「ちょっと...」と言って、何も教えてくれません。何かが起きたことは、わかりましたが、それが何なのかは知らず東京に戻ったのです。
月日は流れ、WEB本の雑誌で児玉さんの『尾道坂道書店事件簿』の連載がスタートしました。僕がこの連載に気づき、お名前を見て懐かしさが込み上がりました。と同時に、「車椅子」という文字に大きな衝撃を受けました。
どのように声をかけるべきか、思い倦ねていた時に杉江さんの日記を読み、思わずコメントした次第。
「なぎ」というハンドルネームに児玉さんが反応してくれて本当に良かった。
mixiのメッセージ機能を使い、本屋大賞の会場で再会することを約束しました。
さて、本業の志夢ネットの話をしましょうか。志夢ネットの社長の近藤秀二さんから「金沢でオーナー会議をやろう」と連絡がありました。日程は2月8日〜9日って明後日じゃないか!すぐに飛行機の手配をして、僕は嫌いな飛行機に搭乗して小松空港へと向かいました。「天候は大雪のため 引き返すこともございます」とのアナウンス。 次の瞬間、閃光とともに機体が揺れました。雪雲の中で落雷が2度 飛行機を直撃したのです。それでも飛行機は、無事到着。 集合場所の金沢駅で、近藤さんに会い、福島、千葉、埼玉、山梨、奈良、兵庫、京都からオーナー7名が来るのを雪が降る寒い中、待っていたのです。しかし、程なくして、仲間と合流でき金沢の郊外にある「いまじん大桑店」を見学。
大桑店は、名古屋の戸田店につづいて昨年11月にオープン。 売場面積は、約1000坪の大型書店。 目立ったのは入り口横の『BOOK JACKET COLLECTION』のコーナー。 戸田店同様、一般公募にて「ブックカバー」を作成。 その種類は、なんと38種類。
お客様は、好きなブックカバーを選ぶことができる。この選べるカバーは、日本書皮友好協会の特別賞を受賞しました。戸田店がワンフロア1000坪に対し、こちらは 1階書籍売場、2階セルCD・DVD・ゲーム売場の2フロア。
平日で大雪なのに店内は混雑していました。雪がとけたら、もっとお客様が来るかなぁ~?
しかし、金沢は出店ラッシュで明文堂さん、中田図書さん、勝木書店さんの新店ができるとか。激戦区ですね。
オーナー会議の議題は、志夢ネットの社長交代の件でした。昨年、近藤さんは、いまじんの会長を辞し、常勤監査役となっています。年齢的に、そろそろ勇退を考えいるのです。志夢ネットの次の社長には、清宮さんを推薦しました。他のオーナーからも異論はなく、以下の体制が決まりました。
ついについに、清宮新社長より「草彅の待遇改善」が懸案事項として出されました。
果たして、どうなるのか!自分。
金沢から戻ると仕事が山積み。
一清堂加須店が楽譜を仕入れたいというので
楽譜問屋の松沢書店と交渉。
そのあと神楽坂の文悠の橘社長から日本書店大学の年会費の件で夕方事務所によりたいと連絡があり、取次の栗田出版販売と来週の打ち合わせを 終えると午後になっていました。
1月分の請求書をつくって送信。
やばい、やばい、幻冬舎の重版商品の発注がまだでした。27日重版出来の商品はリリー・フランキーの『ボロボロになった人へ』や乙一の『暗いところで待ち合わせ』など全部で10タイトルありました。 加盟店全店分の売上データを起票し 注文書をFAXにて送信。(全部で30枚) やったー終わったーと思ったら、FAXが何かしゃべっているぞ。
えっ!通信エラー どうして???
幻冬舎に電話すると「すみません、紙きれでした。最初の2枚だけきてます」
(バカヤロー!紙ぐらい入れとけよ-心の叫び)
ホントに毎日、宮澤賢治の『雨ニモマケズ』な感じでしたよ(涙)
2月23日に行われた冬季五輪トリノ大会フィギュアスケート女子で2004年世界選手権覇者の荒川静香が、日本フィギュア界初の金メダルを獲得しました。ショートプログラムで3位につけた荒川は、フリーではプッチーニのオペラ「トゥーランドット」の曲に乗った華麗な演技で高得点を挙げライバルを抑えて逆転優勝したのです。
3月1日、某大手出版社を訪問。営業担当曰く「書店の外商向けの企画商品が売れていない。かつては全体の売上の40%を占めていたが最近は1%程度しかない」とのこと。(あたりまえでしょ。高額の報奨を餌に書店を騙し続けてきた商売がいつまでもつづくか)と喉まででかかったが・・・我慢ガマン。
「これからは外売(外商)ではなく、
店売(書店店頭での販売)に力をいれたい」 と言う。だからこっちは店売で食ってるんだよ!まだまだ大手出版社には危機感がないのでは?
そして、4月5日、第3回 本屋大賞が明治記念館で発表されます。前夜というか、当日の午前0時過ぎにブックファーストの仕事を終えて帰宅。風呂に入り、本屋大賞に持参するPOPを作成していたら明け方の4時。少しだけ仮眠して、江戸川橋の志夢ネット事務所へ出勤。定時であがり、本屋大賞の会場へ向かったのです。会場内はマスコミと書店員で大混雑。僕は人の垣根を押し除けて探しました。どこだ!どこだ!と。そして、児玉憲宗さんを見つけたのです。児玉さんは、車椅子に乗っていましたが、7年前の啓文社ポートプラザ店オープンの時と同じく、ピカピカの満面の笑みでした。かたくかたく握手をして、昔を懐かしみつつ、僕らはこれからの書店について、アレコレと語り合ったのです。
それでは今日は、この曲で終わります。
2006年のヒット曲。
コブクロ「桜」(作詞、作曲:小渕健太郎・黒田俊介2005年)
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あっ!
本屋大賞ですが、リリー・フランキー『東京タワー―オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)に決まりましたね。
リリーさんとの記念撮影と製作に3時間かかった僕が作ったPOPの写真を貼っておきます(笑)
つづく