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ボードゲーム紹介⑦:バイキングシーソー

ボードゲームの最大の問題点は場所を大きく取ることだ。一つ一つのゲームに思い入れがあっても、しまうスペースがどうしても足りない。

そんな中オインクゲームズなどは、持ち運べることを目的とした小箱のボードゲームを多数制作し、人気を博している。

今回はそんな小箱系のボードゲーム、かのライナー・クニツィアがデザインした、バイキングシーソーの紹介だ。

服一枚入るスペースがあるなら、仕込めるゲームだ。秋の夜長にいかがだろうか?

バイキングシーソーとは

プレイヤーは船に荷物を一つずつ積み上げていき、ゲーム終了時点で最も手元の積荷が少ないプレイヤーが勝利する、アクションゲームだ。

手元にはお宝を模した黄色の宝石や赤玉や鉄球、金銀の財宝に、バイキングなど様々な「積荷」が用意され、いかに傾けないように置いていくかが重要なゲームとなる。

ただのバランスゲーム?

開封して数回プレイしている間は、普通のバランスゲームだと思っていた。

小さな積荷を繊細に扱うことで、どうやって自分のターンに傾けないようにして最小手で丁寧に載せきるかを競うアクションゲームだと。

もちろんバランスゲームであることは否定しないし、繊細さはこのゲームの中で重要なポジションを占めることは間違いない。

ただ、このゲームはそんな甘えたゲームではない。やるか・やられるか、それだけのゲームだ。

身命を賭して……!

プレイをする中で、私は気づいてしまった。繊細さはそんな用途に使うものではない。

このゲームは全身全霊をかけて自分以外のプレイヤーが船を傾けるように、「雑に」積荷を置くゲームである。その雑さに繊細さを注ぎ込むのだ。

大抵の人とやると、まずは綺麗に積荷を置くところから始まる。それを見て私はほくそ笑む。

甘い。甘すぎる。その時点で戦いに負けている。

このゲームは積み切るゲームではない、積荷を押し付けるゲームだ。

どうすれば次の人が積荷を崩すか、そしてあわよくば船を傾けてくれるか。相手のプレイヤーへの嫌がらせに身命を賭して、荷物を載せろ。いや載せるのではない、込めるのだ。悪意とともに。

積荷について

積荷は軽いものほど形がいびつで、重いものほど整っている。

バイキングコマや宝石は非常に軽い。そして金銀の財宝は立方体となっている。中量の銀球と赤球は完全な球体だ。

繰り返しになるが、このゲームは崩さないようにするゲームではなく、崩させるゲームだ。自分のターンに何も起こさないことを目指す消極的な姿勢ではなく、相手を困らせるような積極的な姿勢が評価される。

軽い積荷は戦略上大きな意味をもつ。もちろん自分が崩してしまっては本末転倒なので、その文脈でも大切にしたい。

したがってあえて重い積荷で傾けて、チェストと交換することも一つの戦略になる。(傾けた人はチェストを受け取るというルールがある)

軽い・重いだけではなく、その形までもがよく考えられて作り上げられている。さすがライナー・クニツィア。

だが、一つ言いたい。球は止めてください。落ちたら確実に無くします。

船の形状

聞く人が聞けば耳を塞ぎたくなってしまう物理の話になってしまうが、当然支点から離れれば離れるほどモーメントが大きくなるため傾く可能性が高くなる。

そのことを無意識に把握しているがゆえに支点に近い部分に積荷を置きたくなるのが、人のサガだ。

そして嫌がらせゲームとしては、どうやって支点に近い部分を非効率的に埋めていくが重要である。不必要にチェストを斜めに置く、宝石を放り投げる、バイキングを横たわらせる。

この二つが重なり合うことで、プレイヤーは自然とスペースも少なく、不安定な端っこに置かされるように強いられる。

人の無意識の行動が自然と駆け引きを生むようにデザインされている。こうしたゲームを私はいいゲームだと声を大にして言いたい。

さいごに

もちろん争わないよう、みんなで声を出しながら組体操が如く精緻に積み上げていくのもまた面白いだろう。

時代は共存共栄だ。ともにあり、ともにさかえる。そんな夢物語が描けるのも現実と隔絶されたゲームの世界だからなし得るのだろう。

だがボードゲームは、現実と隔絶されながらも、その存在を常に現実によって担保されている。そうであれば現実をボードゲームに持ち込むのもさして不合理なことではなく、いたって自然なことと考えられないだろうか。

時代は私利私欲だ。お前は私が利するためにいる。今日ニュースやSNSで流れる綺麗事は全て、この四文字の前では無力だ。

バイキングシーソーは現実と理想との端境で今日も揺れ動いている。

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