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【短編】約束(2/2)

(3,309/6,697文字)

あらすじ:明日香は祖母の泰子に頼まれて、認知症を患っている祖父の尾行をすることになった。祖父の行った先は市内のデパートの屋上。祖父は居眠りをして、夕方帰宅した。次の日、報告を聞いた後、祖母が事情を話してくれた……。

【短編】約束(1/2)より続く
          *

 次の日曜日の午後。泰子は家の近くにある喫茶店で明日香と待ち合わせた。席の向かい側に明日香と貴志が座る。紅茶でいいわね。泰子は飲み物を頼んで、明日香から先日の様子を聞いた。
 明日香は、少し感情に流される嫌いがあるが、なかなか話がうまい。泰子は時々頷きながら、黙って耳を傾けた。報告を聞き終えた頃、紅茶が運ばれてきた。
「おばあちゃん、こんな簡単なアルバイトならいつでも大歓迎だけど、あれでよかったの?」
 明日香は少し不服そうな顔をしている。
「ええ、上出来よ。ありがとう。はい、これ。アルバイト代ね」
 泰子は二人の前に封筒を滑らせた。明日香はそれには目もくれず、
「ねえ、そろそろ事情を説明してよ」
「そうよね」
 泰子は居住まいを正した。
「実はね、五十一年前、あの人と約束したの」
「えっ、どういうこと? 約束って?」
 明日香が質問を畳みかける。
かせないでよ。話には順序ってものがあるんだから」
 泰子は紅茶で口を潤した。貴志は最初からずっと泰子の目を見ている。若い子の澄んだ瞳は実に気持ちがいいものだと泰子は思う。
「その頃、この辺りは田舎でね、近くにはしゃれた場所なんかなかったの。駅前にどーんと建てられた鶴屋デパートは、とてもモダンで素敵だったわ。あら、今時モダンなんて言い方しないわね。それはともかく、そこで彼氏と待ち合わせするのは私のあこがれだったの。ううん、私だけじゃない、その頃の娘達は少なからずそう思っていたはずよ。
 あれは高校二年の今頃だったわ。その日は開校記念日で学校は休みでね。誘ったのは、あの人からよ。屋上から見る夕日がとてもきれいだからって。初めてのデートだった。私、目一杯おめかしして行ったわ」
「ロマンチックね」
 明日香は、高校一年生。まだ恋を夢みる年頃だ。
「そうでもないわ。私は、別にあの人でなくてもよかったの。それより遊園地に男の子と二人だけで行ったという事実の方が嬉しかった。だからかしら、デートって言ってもその一回だけ。帰り際、どういう経緯いきさつだったか今では覚えてないけど、五十年後の今日、またここで会おうって、あの人の方から言い出したの」
「えっ、でもそれって……」
 泰子は小さく頷く。
「もうちょっと話させてね。それから何年かして、全くの偶然だったんだけど、駅前の商店街であの人に会ったの……」

 泰子が高校を卒業して何年か経った、ある休日の午後のことだった。その時、どちらが先に声を掛けたか定かではない。何を話したかも今となってはあやふやだ。しかし、それを機に時々会うようになった。
「高二の時、鶴屋デパートに二人で行っただろう。あの時のこと、覚えている?」
 何度目かのデートの時、彼は聞いた。
「何だっけ?」
 泰子はとぼけた。無論覚えている。
 その日、興奮と緊張で眠れぬ朝を迎えたこと。恥ずかしくて彼の一歩後ろを歩いたこと。デパートの入り口でわずかに足が震えたこと。ピカピカの床がキュッと鳴って驚いたこと。それをはばかって小股で歩いたこと。友達とばったり会って慌てたが、気づかない振りをしてくれたこと。順番を待ちながらソフトクリームをなめたこと。それが妙に甘ったるかったこと。そして肝心の夕日は俄に広がった雲で見えなかったこと。
 あの日の行動が走馬灯のように私の脳裏によみがえる。
「帰り際に約束しただろう。約束。覚えてる?」
「ああ、あれ。ええ、もちろんよ」
 そう答えたものの、そこだけがぽっかり泰子の記憶から落ちていた。乗った遊具の順番さえ、はっきり思い出せるというのに。

「……二年ほど前になるかしら、急にあの人が昔の話をし始めてね。それで約束の内容が分かったの」
「でも、それって……」
 明日香が先ほどと同じ疑問を口にする。
「そうね。意味ないわね。でもね、あの人の中では、あの時約束した相手は、私であって私じゃないみたいなの」
「えっ、どういうこと?」
「詳しいことはよく分からないんだけど、お医者さんがおっしゃるには、細切れになった記憶を脳が無理矢理繋ぎ合わせて、新しくこしらえたんじゃないかって。過去にもそういう事例があったそうよ ※注1」
「だけど鶴屋デパートの屋上は昔と全く変わったんじゃないの。今は遊具なんて何もないし……」
「そうね。でもそれは、あの人にとって何の問題もなかったみたい」
 貴志君は小首をかしげたが、口を挟むことはなかった。
「じゃあ、昨日、約束の時間におばあちゃんに会っていたら、どうなってたの?」
「さあ、どうなるのかしら。お医者さんに尋ねてみたけど、答えは出せないみたい」
 とは言うものの、明日香は自分なりに、その結末を想像したのだろう。途端に顔が曇る。心根の優しい子だと、泰子は自分の孫ながら微笑ましく思う。
「それにデパートもだいぶ古くなったし、それ以上にあの人ももう年だから、こんなこといつまで続けられるか分からないけど……」
 そう言いながら泰子は視線を落とした。
「でも、待ち人が来なかったら、来年も再来年も、あの場所へ行くでしょう、絶対。あの人のことだもの」
 そんなあ。明日香の目が潤む。
「ねえ、おばあちゃん。本当に私達と一緒に暮らさない? お父さんもお母さんも、心配してるよ。おじいちゃんのこともあるし……」
 明日香がハンカチで目頭を押さえる。泰子には、明日香の不安や悲しみが痛いほど分かる。
「ありがとう。でもね、大人には色々と事情があるのよ。まあ、頑張れる限り、二人だけでやってみるわ」
 泰子は努めて明るい声で「さて、これで私の話はおしまい」と、手でももをパンと叩いた。
「長々と取り留めがない話でごめんね。あら、紅茶、すっかり冷めてしまったわね。新しいの、もらう?」
「いいえ、大丈夫です」
 貴志が応えた。明日香は黙って首を横に振る。泰子はカップを口に運んだ。冷たくなった紅茶は、泰子に苦さだけを残した。

          *

 明日香は泰子と別れて、バス停まで歩いた。明日香はまだ先ほどの気持ちを引きずっている。貴志は明日香に合わせてゆっくり歩く。
「あれ、おばあちゃん、さっき五十一年前って言わなかった?」
 道すがら、明日香はふっと浮かんだ疑問を口にした。
「うん。おばあちゃんは、去年おじいちゃんが約束を守ってデパートに行ったことを知っているんだよ」
「えっ、どうして?」
 明日香は思わず貴志を見る。
「自分で後を付けたんじゃないかな。今年はどうなるか自信がなくて明日香に頼んだんだろう。だけど報告を聞いて確信したんだと思うよ」
「だから来年も絶対行くって断言したのね」
 貴志は小さく頷いた。
「果たされない限り、おじいちゃんは約束を守り続けるって分かって、おばあちゃんは安心したんだよ。他のことは記憶から消えていっても、あの約束だけは忘れないって。今のおばあちゃんにとって、それが心の支えなんだろうな」
 ――そうか、そうだよね。
 明日香は、気丈に振る舞っていた祖母の姿を思い浮かべると、また目頭が熱くなった。困ったことにさっきからハンカチが手放せない。
「お前はよせって止めたけど、俺、おじいちゃんの顔が見たかったんだよ。屋上に現れたおじいちゃんの目、ホントきらきらしていたよ。五十年以上経っても、一人の女性に対してそんな気持ちを持ち続けられるなんて、マジすごいことだと思う」
 明日香は貴志を見た。貴志の目が優しい。
 ――やばい、またうるっときた。
 いつもは馬鹿ばっかり言って明日香を笑わせている貴志。明日香には、その横顔が何だか急に大人びて見えた。貴志は明日香をいちべつして、
「俺も、そんな相手がほしいなあ」
 と呟いた。
 えっ。明日香はどきっとして立ち止まった。明日香は貴志の言葉をはんすうする。
 ――もしかして、それって、私への告白?。
 明日香は顔を上げた。遠ざかる貴志の背中がにじんで見える。待ってよーっ。明日香は小走りで貴志を追った。

 注1:作者の創作です。医学的な根拠はありません。


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来戸 廉
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