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佐野晶哉を ひまわり としたなら
私の推しである、Aぇ! groupの佐野晶哉が
6年ぶり(!?)に外部舞台を行った。
音楽朗読劇『ひまわりの歌〜ヘブンズ・レコードからの景色~』
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173251800/picture_pc_ea7424a2ad4eaf56a2fb1c51c9410b00.png?width=1200)
こちらを観劇してきたときの記録や解釈など諸々を出しておきたい。
観劇の機会は、運のいいことに2回あった。
どちらがどうという訳ではないが、初日の感想が多くを占めることだけは前置きしておきたい。
前半が本編について、後半はタイトルにもある佐野晶哉とひまわりについて書いていく。
第1話 『おたんじょうび』
座席順
○ ○ ○ ○ ○ ○
店長 タケル お母さん お父さん ハルカ おばさん
客席
冒頭はタケル(佐野晶哉)がギター1本で路上に現れて1曲歌うシーンから。上手からひょこっとギターを持って出てくる。テツandトモのトモさんの方のスタイル。
朗読劇なのに!?!?歌から始まるの!?!?
ってなったのは私だけじゃないはず。
綺麗な顔と舞台の発声と…不安な様子は少しも見えないギターがそこにはあった。凄い。
バラエティとかで歌うことも増えたけど、やっぱり色んなところに響く歌だな〜〜。
物理的にも心情的にも。私だったら意地でも足を止めて聞いているし、ATMに駆け込んで札を投げ入れたい。真顔で。
1曲歌い終わるものの、誰も足を止めないようだ。痺れを切らし、もう1曲歌おうとしたところに店長さんがやってきて、タケルを止める。店長さんの合図で裏からスタッフさんがでてきた。こんなに明るい舞台の上でスタッフさん出てくるんだ。
あ、ギターが回収された。
自分で入れてた投げ銭も回収された。
タケル「それおれのガチの札!!!……さっき出したやつ……」
なにそれかわいい。
結構佐野晶哉が出てた気がする。
ここから朗読劇らしく、セットの椅子に座り台本をみんな広げて話が進んでいく。
店長さんの台本は角のたった綺麗な本だったけど、タケルの台本は表紙の角が折れていたり端が広がっていたりと見るからに劣化していて、色んなところに持ち運んだのかな…他の現場に持ち込んだりしたのかな……とか最初は思ったけど、途中でその理由が分かった。その場面でまたこの話はしたい。
店長とバイトのタケルで経営してるヘブンズ・レコードというお店はセリフを思い出すとたしかワーゲンバスの様だった。
Aぇちゅで誠也くんが言っていたようなやつ。つまりデビュツの自己紹介ソングで乗りながらでてきたやつ。
ちなみにこれね⬇️
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/172516094/picture_pc_e185bb4f2b246870b60ca46caf47024d.png?width=1200)
色々と重なるなあ〜〜と思いながら想像してると、お客さんが1人やってきた。
会社員の30代後半〜40代くらいの男性。スーツを着てて、中にベストも着てたかな?だからか少し品のある人のように見えた。神戸の人っぽい。
「ここって、お店…ですよね?」(関西弁)
と伺うようなセリフから始まることによって、中々お店に見えないような見た目なんだな、普通の車みたいな感じなんだろうなと想像が広がる。
彼が言うには、娘の口ずさんでいたクラシックをお祝いにプレゼントしたいらしい。
分からないからと無理やりタケルは彼に口ずさんでみてと頼んだものの、タケルには分からない。
彼が憤ると、店長が曲名を当てた。
え、凄くない??クラシック通った人なら分かるだろうけど、無限にある曲の中から分かるの、凄くない??店長、何者???
となっていると、その曲は鎮魂歌らしい。鎮魂歌は横文字にするならレクイエム。
そう伝えると、どこか納得したような表情のお父さん。理由を聞く流れになった。やっぱり。
突然、舞台が赤く染まりお父さんが叫ぶ。
ああここは震災の起きた正にその時なんだと一瞬で分かった。空気の変わり方が凄い。
お母さんもハルカ(娘)も感情の波が凄い。本当に耳を塞ぎたくなるような悲鳴、泣き声、叫びの連続で震災の苦しみがそのまま肌を突き刺すように伝わってくる。ハルカ役の子役さんはWキャストらしいが、見た目よりも小さい子の声をなんの違和感もなくそのまま表現していて舞台人のプライドのようなものを感じた。
お母さん、お父さん、ハルカは助かったが産まれたばかりのショウタ(息子)だけが助からなかった。
ショウタが亡くなっていると分かった時の、
ハルカの無邪気さと両親の心を殺して会話を繰り広げている様子の対比が重すぎる。温度差というようなレベルではなく、両親の心の叫びだけが聞こえてくるような感じ。
ここからは「復興」に向けたパートになる。
家族の為にと死ぬ気で働き、家族“3人”で幸せになろうと努力するお父さん
と
ショウタと共に家族“4人”で神戸で生きていこうと今までの日常を繰り返すお母さんとハルカ
この溝がどんどんと広がっていき、どうしてもショウタのことを忘れようとするお父さんの気持ちが痛いほど分かり苦しい。客席も重い空気。
大阪の百貨店でたまたま見かけた彫刻展。
そこでお母さんは彫刻作家の先生と出会う。
失礼なお願いとは分かっているが、どうしてもショウタを彫ってくれないかと頼む。しかし、何を馬鹿なことを言っているんだとその場ではお父さんに止められてしまう。
色々な経緯があり、結局ショウタのお地蔵さんが完成し家の前へ置かれた。
重く、冷たく、顔はショウタによく似ていた。
お母さんがどうしても叶えたかったショウタのお地蔵さんも、お父さんの中では忘れたい苦しみの“象徴”になってしまう。
一方でお母さんやハルカ、他の神戸の人にとっては震災が復興に向かうための“象徴”となる。
お父さんが何度も口にした、「ショウタを地蔵にして外に置くなんてそんなの晒し者だ」
というセリフは、自分や家族も“息子を震災で亡くした悲しい人達”として晒し者にされているように感じているようにもみえた。
神戸から来たという女性に声をかけられ、お父さんはようやくショウタの地蔵と向き合うことになるが、ショウタの顔を見て優しく微笑みながらも謝罪をするお父さんの姿をハルカはどう見ていたのだろうか。
呆れを抱くにはまだ小さく、無の感情を抱くには大きすぎるように思える。
お母さんはここで、こんなセリフを言う。
「私もう…泣いてええですか?泣いてもええんですか?」
ショウタが梁の下敷きになったとき、お父さんが言ったセリフは
「泣くな!!お前が泣くな!!ハルカおるんやぞ!!泣いたら絶対にあかん!!」だった。
ここで、ようやくお母さんは時間が動き始める。
家族全員が“復興”に向かうのだ。
ー現代ー
話が終わった時、タケルは泣いていた。
それで娘さんは鎮魂歌を選んだんですね…と言いながら泣いていた。
お祝い、とはショウタの誕生日らしい。
生きていたら、6歳。“生きていたら”という仮定ほど苦しいものはないと私は思う。
もし生きていたら、もし震災が起きなかったら、もし…もし代わりに自分が死んでいたら……
決して起こりえない“もし”が積み重なると、
人は“今”が嫌になる。価値がないように思える。
たられば、という言葉もそうだろう。
運命という言葉で片付けるのは少し軽く、宿命という言葉で括るには重い。
店長はその鎮魂歌の入ったCDを渡し、お代はいらないと伝える。更にはもう1枚、CDを渡す。
お客さんに見合った、つまりはおすすめの曲だ。
そういうお店なんだとここで観客は知ることになる。
最後に、1話終了の合図としてキャストは立ち上がり、歩き始める。
ふと立ち止まったハルカはひまわりを1輪、タケルに差し出す。タケルはしっかりと受け取り、1話はこれで終わる。
1話でBGMとして流れていたクラシックの中に
♫ ユーモレスク / ドヴォルザーク
という曲があった。私情だが、幼少期にピアノを習っており初めての発表会での曲がこれであった。少しだけ嬉しくもなり懐かしくもなった。
もう一曲、モーツァルトのピアノソナタ16番も演奏されていたことを記録しておきたい。機会があれば聞いてみてほしい。
2曲とも、人に寄り添う様な曲だ。
第2話『残り湯』
座席順
○ ○ ○ ○ ○ ○
花さん 空席 シゲちゃん ケイコ 店長 タケル
客席
重めのスタート。ラジオから花さんの声がして、内容は主に三宅島の火山噴火の話。政治の話も含まれていたかな。
ブツっとラジオが切れて、タケルの明るい声からセリフは始まる。(このラジオの切れる音に毎回びっくりする)
ここで前述していたタケルの台本の角が折れてたり端が広がっている件について触れておきたい。
ヘブンズ・レコードの運転はアルバイトであるタケルが担っている。そのため、タケルは基本台本を車のハンドルのように持ち、握りしめるようなパートが多い。タケルの体も車を運転してるように揺れているし、たまにカーブにかかると傾くし、アクセルも踏んでるように足が動いている。
また、佐野晶哉として見たとき、彼は声を出す時に体の至る箇所に力を入れる。手を握る、足を浮かせ強く踏む、表情筋を最大限に使い泣く、そういった行為が台本にも蓄積されているようだ。
色んなところに持ち出したりだとか他の現場に持っていったりしていた可能性も勿論あるが、そのような要因もあって台本の様子が違うのかもしれない。
1話同様、店長はひまわりの咲いている場所に車を停め店を開くと言う。
そこにきたのは、50~60代くらいの黄色いタオルを首にかけたおじさん1人。ダンボールいっぱいにCDを持って、買取もやっていますか?とタケルに尋ねる。
店長が中身を見て、ほうほう…これはこれは……と呟くとふとCDの匂いを嗅いで(!?)銭湯を営んでいますか?と問う。
よく分かりましたね!!と答えるお客さんにタケルは終始驚き、店長凄ぇーーー!!!!!と興奮している様子だった。
話を聞くと、銭湯を閉めると言う。なぜなのか、ここでまた理由を聞くことになった。
お客さんにはお嫁さんがいた。名前はケイコ。ケイコは旦那さんのことをシゲちゃん、と呼んでいた。
2人で経営していた銭湯の名前は、『夢の湯』
周りは震災の火事で焼け野原になったが、夢の湯だけは奇跡的に残った。残された夢の湯にするべきことは、銭湯を開くことだと2人は決心する。
しかし、問題は山積みだった。
まず再建するためのお金、未だ通らない電気、足りないガス、飲み水もままならない状況で大浴場を埋める量の水の確保………
だが、ケイコとシゲちゃんは2人で一つ一つの問題を解決していく。ケイコは毎回口癖のように、
「シゲちゃん!あたしも、同意見や!!」
というセリフを何回も、何回も繰り返した。
無事に銭湯を開き、どんどんと被災者を迎え入れる夢の湯。風呂を沸かすボイラーを調整できるのはシゲちゃん1人だけ。ケイコは外に並ぶ行列を整理し、最後の1人が帰るまで全てを笑顔で乗り切った。
「…シゲちゃん……!!最後のお客さん、帰ったで!!!」そう言うケイコの顔は、晴々していた。
2人で一息ついた後、ケイコはこう言った。
「シゲちゃん、お風呂…一緒に入る?」と。
ケイコは病を患っているのだった。臓器を悪くしており、透析を行っているという。肌が荒れてしまうため、汚い肌を見せたくないと一緒に入ることはしなかった。
「…いいんか?」シゲちゃんは恐る恐る聞く。その言葉の重みを、分かっていたからだ。
久々に見るケイコは、痩せ細っていた。こんな状態になっていることをシゲちゃんは知らなかった。明日、休んで病院に行きなと伝えると、お医者さんには見てもらっている、とだけ答えた。
お風呂では、本当に他愛もない話が続いた。新婚旅行の話になると、ケイコは突然感謝を述べ始めた。
「シゲちゃんと結婚してよかった。」
被災してから無我夢中で走り続けて、この言葉が口から出ることがどんなに尊いことか。幸せなことか。
2人は一生この日を思い出すのだろうと思った。
次の日の朝、
シゲちゃんの横で眠るケイコは冷たかった。
共に次の日を迎えることができなかった。
しかし、問答無用でお客さんはやってくる。泣く暇などない。悲しむ暇などない。
シゲちゃんは店前に飛び出すと、先頭の知り合いに頭を下げた。
開店を2時間だけ、遅らせてほしい。
ケイコが今朝、亡くなった。
最後に、風呂に入れてあげたい。
ケイコのことを知っている人は皆、快諾した。
葬儀屋に声をかけておく、お寺さんに知り合いがいるから連絡しておく、そう言って色んな人が動いてくれた。
ケイコを風呂に入れながらシゲちゃんは名前を呼びながら叫ぶ。
ケイコは皆から愛されていた。
皆から、本当に愛されていた。
ー現代ー
タケルは、泣きながら僕、奥さんのこと知っています。と答える。
いてもたってもいられず、震災当時ボランティアとして何も持たずに駆け出して、ドロドロになるまで働いた後に夢の湯の前を通ったのだと言う。
行列に並ぶ気になれなかったタケルに声をかけ、銭湯に無料で入れてくれたのがケイコだった。
銭湯を畳む理由は、再開発による立ち退きらしい。
「やってください!!!銭湯、またやってください!!!」と叫ぶタケルを店長は制止する。
続ける覚悟も、続けない覚悟も必要なのだと。
CDはヘブンズ・レコードで預かることになった。
また必要になったら、いつでも渡せるように。
店長が送ったレコードは、不思議なことにケイコのお気に入りの曲だった。
いつだって、繋がっている。
過去も、今も、これからも。
1話同様、キャストは席から立ち上がり、捌けていく。
ケイコはおもむろに振り向き、
佇むタケルにひまわりを1輪手渡すのであった。
第3話『灯り』
座席順
○ ○ ○ ○ ○ ○
店長 花さん ユウミ 山崎 タケル 空席
客席
冒頭、店長とタケルの口喧嘩から始まる。
どうやらタケルはライブハウスのオーディションに落ちたらしい。
「もう音楽なんて、やめますわ!!」
と言い放つタケルに対して売り言葉に買い言葉状態の2人。
音楽だけでなく、ヘブンズ・レコードも辞めると言い放ったタケルがふと外を見ると、そこに1組のカップルが歩いていた。
「…山崎!?!?山崎やんな!?!?」
男の方は山崎と言った。
タケルの高校の同級生らしい。
山崎の隣にはユウミという彼女がいた。独特の雰囲気のある、彼女の周りだけゆっくりと時の流れているような綺麗な女性だ。
聞くところによると彼らは結婚するらしい。
山崎の昔のヤンチャぶりをユウミに語るタケルは、高校時代に山崎に殴られたこともあると笑って言った。
その場面をやってみせろと言うユウミ。
現実で考えたら普通に無茶ぶりにも程があるが、タケルは完全に乗っかりあとは山崎を待つのみといったところまで流れができた。
内容を簡潔に話すと、
タケルが親への不満を愚痴り「親なんておらんかったらいいのに」と言い放ったところ、山崎が手を出した。山崎は震災で両親を亡くし、転校を繰り返していたのだ。
その場はそこで収まり、また日常に戻る。
こういった日常の中に隠れる消えない震災があるのだと知った。
山崎とユウミは職場で出会ったのだと言う。
スニーカー製造の工場、そこが2人の職場だ。
山崎からの猛アタックで段々と距離を縮め、遂に告白をしたその時、ユウミは自分は病気なのだと言った。死ぬ訳では無い、だけど気持ち悪い病気。自分が自分じゃなくなる時がある、とそうユウミは説明をした。
解離性同一性障害
これが正式な病名であった。
ユウミは震災後、この病にかかった。
そしてある日、山崎とユウミの別人格が対面した。ユウミの別人格とは、ユウミの母だった。
「ユウミを大事にしてやれ、絶対に泣かすな」
そう言い放った母に動揺する山崎だったが、人格の戻ったユウミに母の声は聞こえるのか、顔は見えるのか問いただす。
馬鹿にされていると思い、憤るユウミに山崎は
「母とずっと一緒にいれることが羨ましい」
そう言った。
山崎にとって、親の存在は大きい。
会いたくても声を聞きたくても絶対に叶わない。
でも体の中でずっと親と一緒にいれるユウミは山崎にとって羨ましいと思える存在なのだ。
ー現代ー
山崎とユウミは、東遊園地に行く予定であった。
山崎が父になるらしい。
震災から5年が経った。その日初めて、山崎とユウミは東遊園地の慰霊碑に向かったのだ。
山崎はユウミの、ユウミは山崎の両親の名前に手を重ね挨拶をした。
2人とも、新たな家族が生まれるのだ。
震災を知らない、希望の溢れた子どもが。
タケルはその様子を見て、ふと浮かんだフレーズを口ずさんだ。
無意識だった。
山崎とユウミはそれに気づくと、
素敵な曲だ、早くデビューしてCDを出してくれ、
子どもの子守唄にしたいと矢継ぎ早に口にした。
タケルは感情が溢れ出た。
先程まで音楽を辞める予定だった。
遊園地で山崎とユウミとは別れ、またひまわりの咲く花壇の近くで店を開くと店長は言う。
そして、彼らに渡しておいて欲しいとCDをタケルに手渡す。
パッヘルベルのカノン。
永遠に続けることのできる曲…タケルはそこで何かを思ったように言葉を詰まらせた。
立ち上がるタケルにユウミはひまわりを1輪手渡し、山崎と共に遠くを見つめながら歩んでいく。
ここで3話は終わる。
第4話『アトリエ』
座席順
○ ○ ○ ○ ○ ○
空席 空席 タケル 花さん 店長 空席
客席
下手から少し気だるそうに入ってくるタケルは、今までのサロペットではなく、上下白の小綺麗な服装になっていた。
「あの〜〜…今日、加藤さんはいらっしゃいますか?」
花さんが話しかけるとタケルは声でラジオの花さんだと気づく。
店長は昼休憩に出ているのだと伝えると、ここで待っていると言う花さん。
花さんと店長の関係が知りたいタケルは、どういう関係なのかと聞く。
花さんのお父さんは、工事現場で起きた事故で意識不明のまま起きてこない。そんなところに店長は音楽を聞かせ続けて目を覚ました人がいる、と毎日見舞いに通っていた。
タケルのことも知っている、店長がよく話をしているから。
この後、復興住宅への引越しを手伝ってもらう予定なので訪れた。
震災の前、花さんとお父さんが住む家の2軒隣にアトリエを持っていたらしい。
店長の前職は建築家だった。
しかも大学で教えていたという。
驚きを隠せないタケルと、知らなかったことに衝撃を受ける花さん。
花さんから聞いた話はこんなところだろうか。
そこに店長が帰ってくる。
今からワゴン車を使うから、バイト上がっていいぞと伝える店長。
復興住宅への引越しを機に、お父さんを自宅療養に変えると言う。その手伝いをしているらしい。
地震の日、店長のアトリエが全壊し屋根の下敷きになっていたところを花さんのお父さんが助けてくれたという。
その恩を返すために、花さんの手伝いを。
「加藤さんも、復興住宅に入られますよね?」
と花さんが聞くと、店長は入らないらしい。
もう、家と呼ばれる場所に住みたくないという。
建築家であったのにも関わらず、自分の家も花さんの家も、他の周囲の家々も全部地震に弱い家だったことを知っていたのに何もしなかった。
建築家としての怠慢を許せず、建築物に住むことをもうしないと決めたと言う。
だから、ヘブンズ・レコードは移動式のワーゲンバスでありそこで生活しているのだと知る。
花さんも不安になることがあるという。
復興住宅で飛び降り自殺した人のニュースなどを読むと、なんだか言葉が詰まるという。
「復興って…なんなんでしょうね」
タケルから発せられる言葉は重かった。
「音楽ってのはひまわりみたいなもんだと思ってる。大きく咲いて、たくさんの種を人の心に残す。それが、お前にはできると思っている。」
店長からタケルに最後に伝えられた言葉だった。
ー転換ー
タケルは、チキンジョージ(ライブハウス)でギターを持って1人で立っている。
緊張で言葉が詰まる。ギターも手が震えて上手く弾けていない。声も上手く出ずに、マイクの前から逃げ出したその時……
店長が現れ、ひまわりを1輪タケルの胸元にそっとさした。
その瞬間、顔を歪め胸元をぎゅっと強く握り締め後ずさりするタケル。
次に瞬きをした時にはタケルは強い意志を持った目で語り始めた。
このライブハウスは、被災地のど真ん中にある。
自分は被災もしてないし、
家族も家も亡くしていない。
復興とか難しいことは何も分からない。
でも、自分にできることは何かないかと探していた。
最近色んな人に出会って、建っていた一つ一つの家に物語があるのだと知った。
人には言えない悲しみを抱えている。
そんな人達の前に進む気持ちをステージに込めて少しでも背中を押してくれた人に恩返しを。
ここで、『ひまわりの歌』をタケルは歌う。
歌詞はパンフレットにも載っていた。
キャストがどんどんとステージの椅子に集まる。
亡くなった人も、まだ下を向いている人も全員が寄り添いながらタケルの歌を聴いている。
最後に
本編の説明はざっと終了としたい。
まず、この朗読劇を完走した佐野晶哉に拍手。
それを支えてくれたカンパニーの皆さんに拍手。
作家さん、演出家さんに拍手。
私が生まれた時には、もう阪神・淡路大震災は過去の事だった。防災教育、という言葉が生まれたのはきっと私が生まれる前だったと思う。
小学校に上がる前に東日本大震災を経験するのだが、まだ物心のつく前だ。記憶に残っているのは普段より冷静さを欠いた先生たち、通園路に散らばる壁のブロック、中々帰ってこれない両親に代わって迎えに来てくれた祖母の顔。
気づいた時には、家にいた。家の中は少し荒れていた。物が落ちていたり、写真が倒れていたり。でも、その程度。これが私にとっての震災だ。
劇中の幕間にはプロジェクターで震災当時の映像が映し出されていた。見た事のある映像、そうでない映像など様々だったが、再建する苦労、寂しさ、取り残されていく人の思いが強く残った。
震災が残したもの、奪ったものは重すぎる。
しかしその重さは誰かが多く抱えるべきものでも、皆が平等に抱えるべきものでもない。当事者でないからといって抱えない理由にはならない。
全ての葛藤や絶望、そしてほんの少しの未来への希望が、“見えない震災”なのだろうと思った。
ここからは、佐野晶哉について。
冒頭の弾き語りも最後の弾き語りも、思いの詰まったものだった。趣味で弾き語りができる程度で本番で弾けるようなレベルじゃない、と佐野はインタビューなどで何度か語っていたが、そのような雰囲気や不安などは一切こちら側には感じ取ることはできなかった。(感じ取ろうと努力はしてみた。)
稽古が年明けからという話も何かで聞いたが、それまでギターをどのくらいの頻度で練習していたかは分からない。Aぇ! groupのメンバーである正門良規にも教えてもらった、とも聞いたが、なんだか正門良規は「佐野ちゃんできるや~~ん……」で済ましているような気もしなくもない。
歌は言うまでもなく、佐野晶哉の歌だった。伸びやかで、正確な音で耳が喜んでいることを実感でき、抑揚や息遣いが曲の魅力を更にさらに引き出している。最近ではTV番組での披露が増え、カラオケらしい歌い方というのも強く出てくるようになったが、佐野の歌は表現力を全て使って歌っている様が見ていて気持ちがいい。舞台の良さはマイクを通した音と、そうでない音の両方が聞こえることだ。それが直に体験できた。
劇中、店長からタケルへ送られた言葉に
「音楽ってのは、ひまわりみたいなもんだと思ってる。大きく咲いて、たくさんの種を人の心に残す。お前には、それができると思ってるんだ。」
というものがある。
佐野の歌は大きく咲いて、たくさんの種を人の心に残すひまわりのような歌だ。
アイドルとしての佐野は、可愛らしいひまわりのような笑顔をよく私たちに見せてくれる。それが日々の活力になっているファンも多いだろう。
つまり、佐野の存在こそが私たちにとってのひまわりでもあるのだ。蒔いてくれた種が日常の色んなところで花を咲かせ、彩ってくれる。
そんな意味でも、『ひまわりの歌』に出会えたことに心から感謝したい。
これからツアーも控える佐野だが、いつかひまわりの歌をどこかで披露してくれることがあればこの店長の言葉を思い出したい。
「音楽ってのは、ひまわりみたいなもんだと思ってる。大きく咲いて、たくさんの種を人の心に残す。お前には、それができると思ってるんだ。」
2025.2.8