自分は優しい人に恵まれてるんだなあと思った話。
こんにちは。マスクを片耳にかけながら、無意識にもう一枚マスクを着けようとした井上たまです。大丈夫なんでしょうか、私(^o^;
それはそうと。この先、重たかった気持ちを書きますので、引きずられそうな方は他のページに移動いただければと思います。
更年期のせいなのか何かはわかりませんが、何のきっかけがあった訳でもなく、気分が落ち込むことが最近増えておりました。毎度の自分責め、自己嫌悪(自分責めと似たようなもんやけど)、身近な人に当たっては一人でへこんで涙しては飼い猫から「大丈夫なの?!」という顔をされていました。縁起でもないことながら、早く寿命を終えたい、何でここまで生きてきたのかな、と思う日々で。
ま、そう思う自分は否定しないけれど、他人を支援している余裕など どこにもないわいな、という心境で。それでも昔は自分にさらに鞭打っていたことを思えば、私は成長したもんだなあと思いつつ。仕事は休まず行けているということは調整する力も付いた!とも思いました。
それでも、しんどい気持ちに変わりなく、習い事を辞めようと申し出に行くと、先生が私を否定するでもなく包むように気にかけて話を聴いてくださいました。
辞める・辞めないの結論は出さなかったものの、ふと思ったのです。思えば今まで45年生きてきて、理不尽な思いもしたけれど、
いつも私は優しい人に恵まれて、助けられて生きてきたよなあ、と。
普段の私は、人の役に立ちたい思いが強いものの(それは自分に価値がないとの思い込みもあるけれど)、最近の私は心が狭くて余裕がなくて、誰のためにも動きたくないという 駄々っ子のような気持ちがある。
そんな駄々っ子を「しゃあないなあ」となだめつつ、
何をどうしたいのか、迷子になっている自分の味方になれば、
また誰かのお役に立てる日も来るさ、と。
まずはそこまで、生きたらいいじゃない、と。
ごく些細なこと、たとえば何を食べたい、何を飲みたい、休みに何をしたいということさえ浮かんでこない、不感症の自分がおりましたけれど。
昔患った、うつ病からの回復も長い時間をかけたのだし。ゆっくりでもええわいさ。
うちの飼い猫はまだ3歳、少なくとも看取るまでは絶対生きないとなのでね。最近の猫は長生きだから、頑張りがいがあります(^^)そのあとも生きる理由は見つかると思います。
ま、今日もただの独り言でございました。とりあえず、今生きることを選択している自分を肯定したいと思います。あなたは、自分のどんなところを肯定したいでしょうか。
今日も読んでくださってありがとうございます。井上たまでした。