30歳になったら死のうかな
なんとなくだけどキリがいいから。わたしは21の時にはじめて、きちんと死のうと思った。当時浪人生だったのに予備校不登校で、公園でぼーっとしながらみかんを食べて1日を終える、そんな毎日。私は条件付きの自殺の計画をたてた。「何月までに、不登校がなおっていなかったら死ぬ。残りの登校日のうち60%以上を登校できていなかったら不登校がなおっていないと定義する。方法は…」みたいなしっかりめの計画を手帳に書き記していた。それくらい具体的に死と向き合っていたら、まだ不登校でも生きる権利があるように感じていたのか。つまり、なにかまっとうな生性を実現できなければ、生きる権利がないように思っていたのだろう。
でも不登校もなおらなかったし結局死なずにもう6年も経ってしまった。それから大学にも入ったし少しだけ仕事とかもやってみた、今は全部辞めたけど。だからあの頃から状況は大して好転していない。マシになったことは、障害年金をとって磐石な収入が得られるようになったことと、親が私の精神疾患はガチなんだって思い知ってくれたことぐらいか。
確かにあの頃に比べればだいぶ精神的には楽になった。10代とか若い頃特有のおかしな呪いはだいぶ薄まってきたし、なんのために生きるのかを何時間も考えたりせずにみんな生きてるんだって知ったし、○○じゃないと生きてる価値がないとか、極端な白黒思考もメタ認知できるようになった。最悪生活保護でも貰うか、遁世すればなんとかなるだろうし、べつに今まだ死ぬほどじゃない、未来のことは考えずに明日生き延びることだけを考えて生きればいい、そういうふつうの感覚を最近やっとおぼえはじめた。
でもなあ。やっぱりこのハードウェアを抱えて、まだまだ無限とも感じるような長い時間を過ごすことが恐ろしいんだよなあ。これは、もうほんとにこの体というハードウェアの問題だと最近感じている。誰かが精神疾患になったり、幸せを感じにくかったりして、不幸だ、苦しい、死にたいと思うことって、人生の状況はほんのいちファクターにすぎなくて、実際は、生殖ガチャによってもたらされたハードウェアの構造上の問題であるように感じる。どんなにメンタルヘルスを努力しても、あるいは人生の状況を好転させようとしても、幸せになれずに死んでいく人もいるのだ。
私はあの本当に死のうと思った時、私の人生の目的は「自身の幸福を最大化すること」と定義した。この最優先目的のために全ての動きを最適化しようと、この6年間あまりその原則に従って選択をしてきたと思う。
結果、私は幸せであっただろうか。幸せだと感じられていたのは、ほんの一瞬であったと思う。自分を幸せにするのはとても難しいことだった。マインドセットと行動の両面から取り組んだけれど、結局は、運や人との縁に左右された。というか、人とつながることでしか最上の幸福を得ることができなかった。まだ修行が足りないのかもしれない。誰かと心がつながって、たった一瞬ふたりがひとつになれたような、あの瞬間だけが生きててよかったと思えて、それ以外の時間はほとんど地獄だった。こんなはずじゃなかったのに。
もう自分を幸せにすることの意味もよくわからなくなってきた。あの幸せは経験するともっともっと、もう一度、と必死になって執着して後に苦しみをもたらす。どんなに維持したくたって、一瞬で過ぎ去って二度とは帰ってこないものだ。だからあれを求めて生きていくことは真に幸福な人生ではないように思う。目的の再定義が必要とされている。ただ、そのような幸福しか知らない私にとって、幸福すらも安寧ではないとするならば。
ひとの温かみもよく分からなくなってしまった。確かに、抱きあったときはすごく胸が落ち着くのを感じる。だけど、愛してると言われて、驚きとともに、感謝しなければなという考えは、思考であり感情ではなかった。まだよくわかっていないのだ。愛されるということがどういうことなのか、私の心が理解をしていない。だから私は不幸なのかもしれない。30歳になったら死のうかな、愛とかよくわからないし。でもわからないなりに愛されてまぁ幸運だったし、このハードウェアを抱えて遠くまで歩くのがただただ億劫だ。現実の世界は、特にストーリーなんて存在しないカオスなんだとよくわかった。そこに自己に都合の良い解釈を与える人生という営みにも、実は尊さも卑しさも等しく存在しないのだ。だったらやっぱり、体で愛を感じられるあの一瞬をまたもう一度だけ味わったら、次こそ終わり。
たぶん本当にいい人生は、幸福をメタ認知して自分にもたらすようコントロールする生き方じゃなく、世界をひたすらExploreする、好奇心ベースの方なんじゃないかって感じる。私の中で理想化された幸福像は非常に静的で、それは実現がとても難しいんだ。なぜならこの世は諸行無常だから。冒険することが唯一の、静的な苦から逃れるための動的な希望なんじゃないかって、最近朝起きたらすぐに制作に没頭するようになって感じたんだ。
それで疲れたら死ねばいいし。冒険はいつか必ず終わる。もう自分を幸せにできてなくても責任を感じなくていいんだ。冒険さえしていればいい。前に進んでさえいれば。ありがとう。少し楽になった。