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普通って? 偏見と差別について | 哲学
今日は、普通と偏見について考えてみました。
友人から、
「今どき、普通って古くない? 今は個性の時代だよね」
とLINEが来ました。
よく聞いてみると、保育園で子どもが先生に「普通じゃない」と言われたとのことでした。
「普通ってなんだろう?」
もっと具体的に聞いていると、
お昼寝の時間に寝ることができない。
せめてお昼寝の時間の2時間くらいジッとしててっていうのにジッとしていられない。
とのことでした。
つまり、先生の言う「普通」とは、
「みんなと同じことができること」
また、
「先生の指示に従うことができること」と言っているようです。
さて、
普通ってなんでしょう?
完全と不完全
普通について考える前に、完全と不完全について考えてみます。
建設途中の家を見たら、あなたはどう、思いますか?
![](https://assets.st-note.com/img/1670142001076-hOmSmpyQw0.jpg?width=1200)
これは不完全である。
なぜ、不完全?
屋根がないから?
つまり、私たちは、家というものを知っている。
これまで多くの家を見てきて家の完成形を知っているのです。
この、完全、不完全の観念が「普通」を作ります。
![](https://assets.st-note.com/img/1670142034186-a4VLABKKHU.jpg?width=1200)
普通というのは偏見である
自然界の中には、いろんな生き物がいます。
同じ種族でも、大多数の存在と少し違った形で生を受ける者もいます。
ツノが一本しかない牛。
トサカがないニワトリ。
腕が一本しかない人間。
その個体、その人、それ自体は「完全体」であるにも関わらず、私たちは、「障害」という名前をつけました。
なぜなら、それ以外の多くの同類生物と比較してどこかが「欠けている」と思ったからです。
「欠けている」ということは「不完全」と認識しているということです。
そのどこかが欠けている存在を私たちは、「普通ではない」と言っているのです。
人間の腕は二本あるのが普通という偏見。
一本しかなかったら、それは不完全であると認識され、「障害」という名前がつきます。
でも、腕が三本だったら? 六本だったら??
二本あるのが「普通」なのは人間は、腕が二本で「完全体」という認識だからです。そこを起点に、それ以下、だった場合は「不完全」とし、腕が二本無いのは、大変だろうと本来の機能を果たすことができないとして障害と名づけました。
もし、腕が、三本や六本あって、ものすごく便利だったらきっと「障害」とは言わないのではないでしょうか。それは「進化」とか「新人類」とかになりそうですね。実際にはなかなかいないので名前すらついていませんが。(千手千眼観自在菩薩っていうのがあるくらいだからむしろ神になるかも?)
でも、腕が一本だったとしても、その人はそれで「完全体」なのです。
わたしたちがどうしても比べてしまう「普通」という一般概念は、これまで何度も見てきたものに基づいて、作られた観念にすぎません。
それぞれの個体は、ただ一つの個体として存在しているにも関わらず、
「この個体はこうあるべきだ」という偏見と比較して、ある一つの個体に不完全だと決めつけているのです。
少数派は不完全?
最初の話に戻りますが、保育園の先生の言う「普通」とは、大多数の存在の行動を普通と認識し、少数派の行動を普通じゃないと認識しているようにも見えます。
単純に言えば、多数派少数派にも普通という偏見が使われると考えられますが、もう一つ、階層を落とすと、ここはやはり、完全不完全にも繋がっているとわたしは考えます。
少し、意地悪な言い方をしますが、保育園の先生の、「普通じゃない」の中には、
大多数の人間は、お昼寝の時間に寝るにも関わらず、それが出来ないのは彼が、不完全であるからだ。
と言ってるようにも取れます。(キツイ言葉で申し訳ない。悪気はないです!)
偏見に「普通」という言葉を当てはめ、さらに「発達障害」という名前で悪(わたし個人の考えは悪ではないです)にするということはよくあります。
まあ、もっとも、この場合は、コントロールしたいけどコントロールできないから相手を不完全である(悪)と決めつけて自分の非力さと向き合わないよう自分の心を守ったとういう彼女の未熟さの現れな気がもします。
支配しようとして支配できない人が、コントロールできない人を、「普通じゃない」とか「発達障害」とか「宇宙人」と相手を「不完全」と見下して自分の能力の足りなさと向き合わないよう心を守るということは度々あるので、そう言う人間から出てくる「普通」と言う言葉の裏には「自分の言うことを聞かない」と言う意味も含まれていると、わたしは思っています。
「偏見」が生み出す「悪」
完全と不完全の観念が偏見を生み、物事を善と悪で選別していきます。
目が悪い
耳が悪い
頭が悪い
足が遅い
不完全なことを悪いと認識することは少なくないと思います。
ここから善と悪について考えてみるとまた面白いです。
まとめ
普通とは、偏見である。
これまで見てきた多くの情報を基に、比較し、欠如を見出し、「不完全」なものを識別する。そこに「障害」と言う名前をつけ「差別」することもある。そして、善悪はその普通を元に選別されている。
以上! おわり。
補足:いい悪いの話は何もしてないのでそこのところ、よろしくお願いします。人間を責める気もないし、別に正義感もないです。概念を読み解くのが好きなだけの人間ですので悪しからずです。だれの気にも障らないよう祈ってます。
ラジオ
妹との日常会話です。たぶん、わたしがこういうの考えるのが好きだからひたすらしゃべっちゃってます。人生の暇つぶしにどうぞ。
参考資料
スピノザさん好きです。完全不完全の話がこちらにも載っています。
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